をなめているのだ。この身をどこに置くべきか。それさえ自分にわかっておらぬ。
ここに越ゆべからざる太い、まっ黒な線がある。ジェネレーションが、舞台が、少しずつ廻っている。彼我相通ぜぬ厳粛な悲しみ、否、嗚咽《おえつ》さえ、私には感じられるのだ。われらは永い旅をした。せっぱつまり、旅の仮寝の枕元の一輪を、日本浪曼派と名づけてみた。この一すじ。竹林の七賢人も藪《やぶ》から出て来て、あやうく餓死をのがれん有様、佳《よ》き哉《かな》、自ら称していう。「われは花にして、花作り。われ未だころあいを知らず。Alles oder Nichts.」
またいう。「策略の花、可也。修辞の花、可也。沈黙の花、可也。理解の花、可也。物真似の花、可也。放火の花、可也。われら常におのれの発したる一語一語に不抜の責任を持つ。」
あわれ、この花園の妖《あや》しさよ。
この花園の奇《く》しき美の秘訣《ひけつ》を問わば、かの花作りにして花なるひとり、一陣の秋風を呼びて応えん。「私たちは、いつでも死にます。」一語。二語ならば汚し。
花は、ちらばり乱れて、ひとつひとつ、咲き誇り、「生きて在るものを愛せよ」「おれは新しくない。けれども決して古くはならぬ」「いのちがけならば、すべて尊し」「終局において、人間は、これ語るに足らず」「不可解なのは藤村の表情」「いや、そのことについては、私が」「いや、僕だ。僕だ。」「人は人を嘲《あざわら》うべきでない」云々。
日本浪曼派団結せよ、には非ず。日本浪曼派、またその支持者各々の個性をこそ、ゆゆしきものと思い、いかなる侮蔑をもゆるさず、また、各々の生きかた、ならびに作品の特殊性にも、死ぬるともゆずらぬ矜《ほこり》を持ち、国々の隅々にいたるまで、撩乱《りょうらん》せよ、である。
ソロモン王と賤民
私は生れたときに、一ばん出世していた。亡父は貴族院議員であった。父は牛乳で顔を洗っていた。遺児は、次第に落ちぶれた。文章を書いて金にする必要。
私はソロモン王の底知れぬ憂愁も、賤民の汚なさも、両方、知っている筈だ。
文章
文章に善悪の区別、たしかにあり。面貌《めんぼう》、姿態の如きものであろうか。宿命なり。いたしかたなし。
感謝の文学
日本には、ゆだん大敵という言葉があって、いつも人間を寒く小さくしている。芸術の腕まえにおいて、
前へ
次へ
全24ページ中13ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング