の二字で片づけ、懐疑説の矛盾をわずか数語でもって指摘し去り、ジッドの小説は二流也と一刀のもとに屠《ほふ》り、日本浪曼派は苦労知らずと蹴って落ちつき、はなはだしきは読売新聞の壁評論氏の如く、一篇の物語(私の「猿ヶ島」)を一行の諷刺《ふうし》、格言に圧縮せむと努めるなど、さまざまの殺伐なるさまを述べようと思っていたのだが、秋空のせいか、ふっと気がかわって、われながら変なことになってしまった。これは、明かに失敗である。

     病躯の文章とそのハンデキャップに就いて

 確かに私は、いま、甘えている。家人は私を未だ病人あつかいにしているし、この戯文を読むひとたちもまた、私の病気を知っている筈《はず》である。病人ゆえに、私は苦笑でもって許されている。
 君、からだを頑健にして置きたまえ。作家はその伝記の中で、どのような三面記事をも作ってはいけない。

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 追記。文芸冊子「散文」十月号所載山岸外史の「デカダン論」は細心|鏤刻《るこく》の文章にして、よきものに触れたき者は、これを読め。
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     「衰運」におくる言葉

  ひややかにみづをたたへて
  かくあればひとはしらじな
  ひをふきしやまのあととも

 右は、生田長江のうたである。「衰運」読者諸兄へのよき暗示ともなれば幸甚である。

 君、あとひとつき寝れば、二十五歳、深く自愛し、そろそろと路なき路にすすむがよい。そうして、不抜の高き塔を打ちたて、その塔をして旅人にむかい百年のちまで、「ここに男ありて、――」と必ず必ず物語らせるがよい。私の今宵のこの言葉を、君、このまま素直に受けたまえ。

     ダス・ゲマイネに就いて

 いまより、まる二年ほどまえ、ケエベル先生の「シルレル論」を読み、否、読まされ、シルレルはその作品に於いて、人の性よりしてダス・ゲマイネ(卑俗)を駆逐し、ウール・シュタンド(本然の状態)に帰らせた。そこにこそ、まことの自由が生れた。そんな所論を見つけたわけだ。ケエベル先生は、かの、きよらなる顔をして、「私たち、なかなかにこのダス・ゲマイネという泥地から足を抜けないもので、――」と嘆じていた。私もまた、かるい溜息をもらした。「ダス・ゲマイネ」「ダス・ゲマイネ」この想念のかなしさが、私の頭の一隅にこびりついて離れなかった。
 いま日本に於いて、多少
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