ひけました。
 校長室に案内されて、私は、ただ、きょろきょろしていました。案内して来た生徒たちは、むかし此の学校に芥川龍之介も講演しに来て、その時、講堂の彫刻を褒《ほ》めて行きました、と私に教えました。私も、何か褒めなければいけないかと思って、あたりを見廻したのですが、褒めたいものもありませんでした。
 やがて出て来た主任の先生と挨拶して、それから会場へ出かけました。会場には生徒の他に一般市民も集っていました。隅に、女の人も、五、六人かたまって腰かけていたようでした。私が、はいって行くと、拍手が起りました。私は、少し笑いました。
「別に、用意もして参りませんでした。宿屋で寝ながら考えてみましたが、まとまりませんでした。こんな事になるかも知れぬと思って、私の創作集を二冊ふところに容れて、東京から持って参りました。やはり、之を、読むより他は、ありません。読んでいるうちに何か思いつくでしょうから、思いついたら、またその時には、申し上げます。」
 私は、「思い出」という初期の作品を、一章だけ読みました。それから、私小説に就いて少し言いました。告白の限度という事にも言及しました。ふい、ふいと思い
前へ 次へ
全13ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング