を食べなければ生きて居られないとは、何という不体裁な事でしょう。「おい、戦争がもっと苛烈《かれつ》になって来て、にぎりめし一つを奪い合いしなければ生きてゆけないようになったら、おれはもう、生きるのをやめるよ。にぎりめし争奪戦参加の権利は放棄するつもりだからね。気の毒だが、お前もその時には子供と一緒に死ぬる覚悟をきめるんだね。それがもう、いまでは、おれの唯一の、せめてものプライドなんだから。」とかねて妻に向って宣言していたのですが、「その時」がいま来たように思われました。
 窓外の風景をただぼんやり眺めているだけで、私には別になんのいい智慧《ちえ》も思い浮びません。或る小さい駅から、桃《もも》とトマトの一ぱいはいっている籠《かご》をさげて乗り込んで来たおかみさんがありました。
 たちまち、そのおかみさんは乗客たちに包囲され、何かひそひそ囁《ささ》やかれています。「だめだよ。」とおかみさんは強気のひとらしく、甲高い声で拒否し、「売り物じゃないんだ。とおしてくれよ、歩かれないじゃないか!」人波をかきわけて、まっすぐに私のところへ来て私のとなりに坐り込みました。この時の、私の気持は、妙なもので
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