たずねびと
太宰治

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)ご承知の如《ごと》く
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 この「東北文学」という雑誌の貴重な紙面の端をわずか拝借して申し上げます。どうして特にこの「東北文学」という雑誌の紙面をお借りするかというと、それには次のような理由があるのです。
 この「東北文学」という雑誌は、ご承知の如《ごと》く、仙台の河北新報社から発行せられて、それは勿論《もちろん》、関東関西四国九州の店頭にも姿をあらわしているに違いありませぬが、しかし、この雑誌のおもな読者はやはり東北地方、しかも仙台附近に最も多いのではないかと推量されます。
 私はそれを頼みの綱として、この「東北文学」という文学雑誌の片隅《かたすみ》を借り、申し上げたい事があるのです。
 実は、お逢《あ》いしたいひとがあるのです。お名前も、御住所もわからないのですが、たしかに仙台市か、その附近のおかたでは無かろうかと思っています。女のひとです。
 仙台市から発行せられている「東北文学」という雑誌の片隅に、私がこのまずしい手記を載せてもらおうと思い立ったのも、そのひとが仙台市か或《ある》いはその近くの土地に住んでいるように思われて、ひょっとしたら、私のこの手記がそのひとの眼にふれる事がありはせぬか、またはそのひとの眼にふれずとも、そのひとの知合いのお方が読んで、そのひとに告げるとか、そのような万に一つの僥倖《ぎょうこう》が、……いやいや、それは無理だ、そんな事は有りっこ無いよ、いやいや、その無理は充分にわかっていますが、しかし、私としてはそんな有りっこ無い事をも、あてにして書かずに居られない気持なのです。
「お嬢さん。あの時は、たすかりました。あの時の乞食《こじき》は私です。」
 その言葉が、あの女のひとの耳にまでとどかざる事、あたかも、一勇士を葬《とむ》らわんとて飛行機に乗り、その勇士の眠れる戦場の上空より一束の花を投じても、決してその勇士の骨の埋められたる個所には落下せず、あらぬかなたの森に住む鷲《わし》の巣にばさと落ちて雛《ひな》をいたずらに驚愕《きょうがく》せしめ、或いはむなしく海波の間に浮び漂うが如き結末になると等しく、これは畢竟《ひっきょう》、とどくも届かざるも問題でなく、その言葉もしくは花束を投じた当人の気がすめば、それでよろしいという甚《はなは》だ身勝手なたくらみ
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