う事もありました。あなたは、以前は、なんにも知らなかったのね。ごめんなさい。私だって、なんにも、ものを知りませんけれども、自分の言葉だけは、持っているつもりなのに、あなたは、全然、無口か、でもないと、人の言った事ばかりを口真似《くちまね》しているだけなんですもの。それなのに、あなたは不思議に成功なさいました。そのとしの二科の画は、新聞社から賞さえもらって、その新聞には、何だか恥ずかしくて言えないような最大級の讃辞が並べられて居りました。孤高、清貧、思索、憂愁、祈り、シャヴァンヌ、その他いろいろございました。あなたは、あとでお客様とその新聞の記事に就いてお話なされ、割合、当っていたようだね、等と平気でおっしゃって居られましたが、まあ何という事を、おっしゃるのでしょう。私たちは清貧ではございません。貯金帳を、ごらんにいれましょうか。あなたは、この家に引越して来てからは、まるで人が変ったように、お金の事を口になさるようになりました。お客様に画をたのまれると、あなたは、必ずお値段の事を悪びれもせずに、言い出します。はっきりさせて置いたほうが、後でいざこざが起らなくて、お互に気持がいいからね、などと、あなたはお客様におっしゃって居られますが、私はそれを小耳にはさんで、やはり、いやな気が致しました。なんでそんなに、お金にこだわることがあるのでしょう。いい画さえ描いて居れば、暮しのほうは、自然に、どうにかなって行くものと私には思われます。いいお仕事をなさって、そうして、誰にも知られず、貧乏で、つつましく暮して行く事ほど、楽しいものはありません。私は、お金も何も欲しくありません。心の中で、遠い大きいプライドを持って、こっそり生きていたいと思います。あなたは私の、財布の中まで、おしらべになるようになりました。お金がはいると、あなたは、あなたの大きい財布と、それから、私の小さい財布とに、お金をわけて、おいれになります。あなたの財布には、大きいお紙幣《さつ》を五枚ばかり、私の財布には、大きいお紙幣一枚を、四つに畳んでお容れになります。あとのお金は、郵便局と銀行へ、おあずけになります。私は、いつでも、それを、ただ傍で眺めています。いつか私が、貯金帳をいれてある書棚《しょだな》の引き出しの鍵《かぎ》を、かけるのを忘れていたら、あなたは、それを見つけて、困るね、と、しんから不機嫌に、私におこごとを言うので、私は、げっそり致しました。画廊へ、お金を受取りにおいでになれば、三日目くらいにお帰りになりますが、そんな時でも、深夜、酔ってがらがらと玄関の戸をあけて、おはいりになるや否や、おい、三百円あまして来たぞ、調べて見なさい、等と悲しい事を、おっしゃいます。あなたのお金ですもの、いくらお使いになったって平気ではないでしょうか。たまには気晴しに、うんとお金を使いたくなる事もあるだろうと思います。みんな使うと、私が、がっかりするとでも思って居られるのでしょうか。私だって、お金の有難さは存じていますが、でも、その事ばかり考えて生きているのでは、ございません。三百円だけ残して、そうして得意顔でお帰りになるあなたのお気持が、私には淋しくてなりません。私は、ちっともお金を欲しく思っていません。何を買いたい、何を食べたい、何を観たいとも思いません。家の道具も、たいてい廃物利用で間に合わせて居りますし、着物だって染め直し、縫い直しますから一枚も買わずにすみます。どうにでも、私は、やって行きます。手拭掛《てぬぐいか》け一つだって、私は新しく買うのは、いやです。むだな事ですもの。あなたは時々、私を市内へ連れ出して、高い支那料理などを、ごちそうして下さいましたが、私にはちっともおいしいとは思われませんでした。何だか落ちつかなくて、おっかなびっくりの気持で、本当に、勿体《もったい》なくて、むだな事だと思いました。三百円よりも、支那料理よりも、私には、あなたが、この家のお庭に、へちまの棚を作って下さったほうが、どんなに嬉《うれ》しいかわかりません。八畳間の縁側には、あんなに西日が強く当るのですから、へちまの棚をお作りになると、きっと工合がいいと思います。あなたは、私があれほどお願いしても、植木屋を呼んだらいいとか、おっしゃって、ご自分で作っては、くださいません。植木屋を呼ぶなんて、そんなお金持の真似《まね》は、私は、いやです。あなたに、作っていただきたいのに、あなたは、よし、よし、来年は、等とおっしゃるばかりで、とうとう今日まで、作っては下さいません。あなたは、御自分の事では、ひどく、むだ使いをなさるのに、人の事には、いつでも知らん顔をなさって居ります。いつでしたかしら、お友達の雨宮さんが、奥さんの御病気で困って、御相談にいらした時、あなたは、わざわざ私を応接間にお呼びになって、家にい
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