、無口なあなたらしくもなく、ずいぶんつまらぬお喋りをはじめます。私は、それまで二年、あなたと暮して、あなたが人の陰口をたたいたのを伺った事が一度もありませんでした。何先生は、どうだって、あなたは唯我独尊《ゆいがどくそん》のお態度で、てんで無関心の御様子だったではありませんか。それに、そんなお喋りをして、前夜は、あなたに何のうしろ暗いところも無かったという事を、私に納得させようと、お努めになって居られるようなのですが、そんな気弱な遠廻しの弁解をなさらずとも、私だって、まさか、これまで何も知らずに育って来たわけでもございませんし、はっきりおっしゃって下さったほうが、一日くらい苦しくても、あとは私はかえって楽になります。所詮《しょせん》は生涯の、女房なのですから。私は、そのほうの事では、男の人を、あまり信用して居りませんし、また、滅茶に疑っても居りません。そのほうの事でしたら、私は、ちっとも心配して居りませぬし、また、笑って怺《こら》える事も出来るのですけれど、他に、もっと、つらい事がございます。
 私たちは、急にお金持になりました。あなたも、ひどくおいそがしくなりました。二科会から迎えられて、会員になりました。そうして、あなたは、アパートの小さい部屋を、恥ずかしがるようになりました。但馬さんもしきりに引越すようにすすめて、こんなアパートに居るのでは、世の中の信用も如何《いかが》と思われるし、だいいち画の値段が、いつまでも上りません、一つ奮発して大きい家を、お借りなさい、と、いやな秘策をさずけ、あなたまで、そりゃあそうだ、こんなアパートに居ると、人が馬鹿にしやがる、等と下品なことを、意気込んで言うので、私は何だか、ぎょっとして、ひどく淋しくなりました。但馬さんは自転車に乗ってほうぼう走り廻り、この三鷹町の家を見つけて下さいました。としの暮に私たちは、ほんのわずかなお道具を持って、この、いやに大きいお家へ引越して参りました。あなたは、私の知らぬ間にデパートへ行って何やらかやら立派なお道具を、本当にたくさん買い込んで、その荷物が、次々とデパートから配達されて来るので、私は胸がつまって、それから悲しくなりました。これではまるで、そこらにたくさんある当り前の成金《なりきん》と少しも違っていないのですもの。けれども私は、あなたに悪くて、努めて嬉しそうに、はしゃいでいました。いつの間にか私は、あの、いやな「奥様」みたいな形になっていました。あなたは、女中を置こうとさえ言い出しましたけれど、それだけは、私は、何としても、いやで、反対いたしました。私には、人を、使うことが出来ません。引越して来て、すぐにあなたは、年賀状を、移転通知を兼ねて三百枚も刷らせました。三百枚。いつのまに、そんなにお知合いが出来たのでしょう。私には、あなたが、たいへんな危い綱渡りをはじめているような気がして、恐しくてなりませんでした。いまに、きっと、悪い事が起る。あなたは、そんな俗な交際などなさって、それで成功なさるようなお方では、ありません。そう思って、私は、ただはらはらして、不安な一日一日を送っていたのでございますが、あなたは躓《つまず》かぬばかりか、次々と、いい事ばかりが起るのでした。私が間違っているのでしょうか。私の母も、ちょいちょい、この家へ訪ねて来るようになって、その度毎に、私の着物やら貯金帳やらを持って来て下さって、とても機嫌《きげん》がいいのです。父も、会社の応接間の画を、はじめは、いやがって会社の物置にしまわせていたのだそうですが、こんどは、それを家へ持って来て、額縁も、いいのに変えて、父の書斎に掛けているのだそうです。池袋の大姉さんも、しっかりおやり等と、お手紙を下さるようになりました。お客様も、ずいぶん多くなりました。応接間が、お客様で一ぱいになる事もありました。そんな時、あなたの陽気な笑い声が、お台所まで聞えて来ました。あなたは、ほんとに、お喋りになりました。以前あなたは、あんなに無口だったので、私は、ああ、このおかたは、何もかもわかっていながら、何でも皆つまらないから、[#「、」は底本では「、、」]こんなに、いつでも黙って居られるのだ、とばかり思い込んで居りましたが、そうでもないらしいのね。あなたは、お客様の前で、とてもつまらない事を、おっしゃって居られます。前の日に、お客様から伺ったばかりの画の論を、そっくりそのまま御自分の意見のように鹿爪《しかつめ》らしく述べていたり、また、私が小説を読んで感じた事をあなたに、ちょっと申し上げると、あなたはその翌日、すましてお客様に、モオパスサンだって、やはり信仰には、おびえていたんだね、なんて私の愚論をそのままお聞かせしているものですから、私はお茶を持って応接間にはいりかけて、あまり恥ずかしくて立ちすくんでしま
前へ 次へ
全7ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング