つた」に傍点]のだ。
 貝殻の底に、「希望」の星があつて、それで救はれたなんてのは、考へてみるとちよつと少女趣味で、こしらへものの感じが無くもないやうな気もするが、浦島は、立ち昇る煙それ自体で救はれてゐるのである。貝殻の底には、何も残つてゐなくたつていい。そんなものは問題でないのだ。曰く、
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年月は、人間の救ひである。
忘却は、人間の救ひである。
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 竜宮の高貴なもてなしも、この素張らしいお土産に依つて、まさに最高潮に達した観がある。思ひ出は、遠くへだたるほど美しいといふではないか。しかも、その三百年の招来をさへ、浦島自身の気分にゆだねた。ここに到つても、浦島は、乙姫から無限の許可を得てゐたのである。淋しくなかつたら、浦島は、貝殻をあけて見るやうな事はしないだらう。どう仕様も無く、この貝殻一つに救ひを求めた時には、あけるかも知れない。あけたら、たちまち三百年の年月と、忘却である。これ以上の説明はよさう。日本のお伽噺には、このやうな深い慈悲がある。
 浦島は、それから十年、幸福な老人として生きたといふ。
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カチカチ山

 カチカチ
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