と乙姫のうしろ姿を眺める。
乙姫は、ひとりで黙つて歩いてゐる。薄みどり色の光線を浴び、すきとほるやうなかぐはしい海草のやうにも見え、ゆらゆら揺蕩しながらたつたひとりで歩いてゐる。
「どこへ行くんだらう。」と思はず呟く。
「お部屋でせう。」亀は、きまりきつてゐるといふやうな顔つきで、澄まして答へる。
「さつきから、お前はお部屋お部屋と言つてゐるが、そのお部屋はいつたい、どこにあるの? 何も、どこにも、見えやしないぢやないか。」
見渡すかぎり平坦の、曠野と言つていいくらゐの鈍く光る大広間で、御殿《ごてん》らしいものの影は、どこにも無い。
「ずつと向う、乙姫の歩いて行く方角の、ずつと向うに、何か見えませんか。」と亀に言はれて、浦島は、眉をひそめてその方向を凝視し、
「ああ、さう云はれて見ると、何かあるやうだね。」
ほとんど一里も先と思はれるほどの遠方、幽潭の底を覗いた時のやうな何やら朦朧と烟つてたゆたうてゐるあたりに、小さな純白の水中花みたいなものが見える。
「あれか。小さいものだね。」
「乙姫がひとりおやすみになるのに、大きい御殿なんか要らないぢやありませんか。」
「さう言へば、まあ
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