や。お酒一ぱいにも、飲ませてやつたぞ、いただきましたぞ、といふやうな証文を取かはしてゐたんぢや、かなはない。」
「さう、その調子。」と亀は大喜びで、「しかし、あまりそんなに興奮して心臓痲痺なんか起されても困る。ま、この藻の岩に腰をおろして、桜桃の酒でも飲むさ。桜桃の花びらだけでは、はじめての人には少し匂ひが強すぎるかも知れないから、桜桃五、六粒と一緒に舌の上に載せると、しゆつと溶けて適当に爽涼のお酒になります。まぜ合せの仕方一つで、いろんな味に変化しますからまあ、ご自分で工夫して、お好きなやうなお酒を作つてお飲みなさい。」
 浦島はいま、ちよつと強いお酒を飲みたかつた。花びら三枚に、桜桃二粒を添へて舌端に載せるとたちまち口の中一ぱいの美酒、含んでゐるだけでも、うつとりする。軽快に喉をくすぐりながら通過して、体内にぽつと灯《あか》りがともつたやうな嬉しい気持になる。
「これはいい。まさに、憂ひの玉帚だ。」
「憂ひ?」と亀はさつそく聞きとがめ、「何か憂鬱な事でもあるのですか?」
「いや、べつに、そんなわけではないが、あははは、」とてれ隠しに無理に笑ひ、それから、ほつと小さな溜息をつき、ちら
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