ども無かつたやうに見受けられた。お爺さんの胸中に眠らされてゐた何物かが、この時はじめて頭をもたげたやうにも見えるが、しかし、それは何であるか、筆者(太宰)にもわからない。自分の家にゐながら、他人の家にゐるやうな浮かない気分になつてゐるひとが、ふつと自分の一ばん気楽な性格に遭ひ、之を追ひ求める、恋、と言つてしまへば、それつきりであるが、しかし、一般にあつさり言はれてゐる心、恋、といふ言葉に依つてあらはされる心理よりは、このお爺さんの気持は、はるかに侘しいものであるかも知れない。お爺さんは夢中で探した。生れてはじめての執拗な積極性である。
[#ここから2字下げ、ゴシック体]
シタキリ スズメ
オヤドハ ドコダ
シタキリ スズメ
オヤドハ ドコダ
[#ここで字下げ終わり]
まさか、これを口に出して歌ひながら捜し歩いてゐたわけではない。しかし、風が自分の耳元にそのやうにひそひそ囁き、さうして、いつのまにやら自分の胸中に於いても、その変てこな歌ともお念仏ともつかぬ文句が一歩一歩竹藪の下の雪を蹈みわけて行くのと同時に湧いて出て、耳元の風の囁きと合致する、といふやうな工合ひなのである。
或る夜、
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