るという言葉がありますけれど、実感であります。それに、着物ばかりか、兵古帯も、下駄も借りなければ、いけなかったのです。そうして、恋人を欺《あざむ》くのです。どんなに落ちぶれても、ロマンスの世界にはいると、彼のお洒落の本能が、むっくり頭を持ち上げて、彼の痩せひからびた胸をワクワクさせる様であります。彼のような男は、七十歳になっても、八十歳になっても、やはり派手な格子縞《こうしじま》のハンチングなど、かぶりたがるのではないでしょうか。外面の瀟洒と典雅だけを現世の唯一の「いのち」として、ひそかに信仰しつづけるのではないでしょうか。昨年、彼が借衣までして恋人に逢いに行ったという、そのときの彼の自嘲の川柳《せんりゅう》を二つ三つ左記して、この恐るべきお洒落童子の、ほんのあらましの短い紹介文を結ぶことに致しましょう。落人《おちうど》の借衣すずしく似合いけり。この柄は、このごろ流行《はやり》と借衣言い。その袖を放せと借衣あわてけり。借衣すれば、人みな借衣に見ゆる哉《かな》。味わうと、あわれな狂句です。



底本:「太宰治全集3」ちくま文庫、筑摩書房
   1988(昭和63)年10月25日第1刷発
前へ 次へ
全14ページ中13ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
太宰 治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング