落してしまうのです。
 男のひとは、妻をいつも思っている事が道徳的だと感ちがいしているのではないでしょうか。他にすきなひとが出来ても、おのれの妻を忘れないというのは、いい事だ、良心的だ、男はつねにそのようでなければならない、とでも思い込んでいるのではないでしょうか。そうして、他のひとを愛しはじめると、妻の前で憂鬱《ゆううつ》な溜息などついて見せて、道徳の煩悶《はんもん》とかをはじめて、おかげで妻のほうも、その夫の陰気くささに感染して、こっちも溜息、もし夫が平気で快活にしていたら、妻だって、地獄の思いをせずにすむのです。ひとを愛するなら、妻を全く忘れて、あっさり無心に愛してやって下さい。)
 夫は、力無い声で笑い、
「変るもんか。変りやしないさ。ただもうこの頃は暑いんだ。暑くてかなわない。夏は、どうも、エキスキュウズ、ミイだ。」
 とりつくしまも無いので、私も、少し笑い、
「にくいひと。」
 と言って、夫をぶつ真似《まね》をして、さっと蚊帳から出て、私の部屋の蚊帳にはいり、長男と次女のあいだに「小」の字の形になって寝るのでした。
 でも、私は、それだけでも夫に甘えて、話をして笑い合う事が
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