みならず、家庭の些事《さじ》の整理に至るまで、われわれは茶の宗匠の存在を感ずるのである。配膳法《はいぜんほう》はもとより、美味の膳部の多くは彼らの創案したものである。彼らは落ち着いた色の衣服をのみ着用せよと教えた。また生花に接する正しい精神を教えてくれた。彼らは、人間は生来簡素を愛するものであると強調して、人情の美しさを示してくれた。実際、彼らの教えによって茶は国民の生活の中にはいったのである。
この人生という、愚かな苦労の波の騒がしい海の上の生活を、適当に律してゆく道を知らない人々は、外観は幸福に、安んじているようにと努めながらも、そのかいもなく絶えず悲惨な状態にいる。われわれは心の安定を保とうとしてはよろめき、水平線上に浮かぶ雲にことごとく暴風雨の前兆を見る。しかしながら、永遠に向かって押し寄せる波濤《はとう》のうねりの中に、喜びと美しさが存している。何ゆえにその心をくまないのであるか、また列子のごとく風そのものに御《ぎょ》しないのであるか。
美を友として世を送った人のみが麗しい往生をすることができる。大宗匠たちの臨終はその生涯《しょうがい》と同様に絶妙都雅なものであった。彼ら
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