物の格好や色彩、身体の均衡や歩行の様子などすべてが芸術的人格の表現でなければならぬ。これらの事がらは軽視することのできないものであった。というのは、人はおのれを美しくして始めて美に近づく権利が生まれるのであるから。かようにして宗匠たちはただの芸術家以上のものすなわち芸術そのものとなろうと努めた。それは審美主義の禅であった。われらに認めたい心さえあれば完全は至るところにある。利休は好んで次の古歌を引用した。
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花をのみ待つらん人に山里の雪間の草の春を見せばや(三六)
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茶の宗匠たちの芸術に対する貢献は実に多方面にわたっていた。彼らは古典的建築および屋内の装飾を全く革新して、前に茶室の章で述べた新しい型を確立した。その影響は十六世紀以後に建てられた宮殿寺院さえも皆これをうけている。多能な小堀遠州《こぼりえんしゅう》は、桂《かつら》の離宮、名古屋《なごや》の城および孤篷庵《こほうあん》に、彼が天才の著名な実例をのこしている。日本の有名な庭園は皆茶人によって設計せられたものである。わが国の陶器はもし彼らが鼓舞を与えてくれなかったら、優良な品質には
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