ちの体内に生命を保たせておくことができるのを彼は誇りとしているだろう。お前たちは初めて捕えられた時、その場で殺されたほうがよくはなかったか。いったいお前は前世でどんな罪を犯したとて、現世でこんな罰を当然受けねばならないのか。
 西洋の社会における花の浪費は東洋の宗匠の花の扱い方よりもさらに驚き入ったものである。舞踏室や宴会の席を飾るために日々切り取られ、翌日は投げ捨てられる花の数はなかなか莫大《ばくだい》なものに違いない。いっしょにつないだら一大陸を花輪で飾ることもできよう。このような、花の命を全く物とも思わぬことに比ぶれば、花の宗匠の罪は取るに足らないものである。彼は少なくとも自然の経済を重んじて、注意深い慮《おもんぱか》りをもってその犠牲者を選び、死後はその遺骸《いがい》に敬意を表する。西洋においては、花を飾るのは富を表わす一時的美観の一部、すなわちその場の思いつきであるように思われる。これらの花は皆その騒ぎの済んだあとはどこへ行くのであろう。しおれた花が無情にも糞土《ふんど》の上に捨てられているのを見るほど、世にも哀れなものはない。
 どうして花はかくも美しく生まれて、しかもかく
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