に非常な慰安をもたらし、疲れた人々の闇《やみ》の世界に喜悦の光をもたらすものではないか。その澄みきった淡い色は、ちょうど美しい子供をしみじみながめていると失われた希望が思い起こされるように、失われようとしている宇宙に対する信念を回復してくれる。われらが土に葬られる時、われらの墓辺を、悲しみに沈んで低徊《ていかい》するものは花である。
悲しいかな、われわれは花を不断の友としながらも、いまだ禽獣《きんじゅう》の域を脱することあまり遠くないという事実をおおうことはできぬ。羊の皮をむいて見れば、心の奥の狼《おおかみ》はすぐにその歯をあらわすであろう。世間で、人間は十で禽獣、二十で発狂、三十で失敗、四十で山師、五十で罪人といっている。たぶん人間はいつまでも禽獣を脱しないから罪人となるのであろう。飢渇のほか何物もわれわれに対して真実なものはなく、われらみずからの煩悩《ぼんのう》のほか何物も神聖なものはない。神社仏閣は、次から次へとわれらのまのあたり崩壊《ほうかい》して来たが、ただ一つの祭壇、すなわちその上で至高の神へ香を焚《た》く「おのれ」という祭壇は永遠に保存せられている。われらの神は偉いもの
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