友とする手段として、暗示の価値を決して忘れなかった。傑作をうちながめる人たれか心に浮かぶ綿々たる無限の思いに、畏敬《いけい》の念をおこさない者があろう。傑作はすべて、いかにも親しみあり、肝胆相照らしているではないか。これにひきかえ、現代の平凡な作品はいかにも冷ややかなものではないか。前者においては、作者の心のあたたかい流露を感じ、後者においては、ただ形式的の会釈を感ずるのみである。現代人は、技術に没頭して、おのれの域を脱することはまれである。竜門《りゅうもん》の琴を、なんのかいもなくかき鳴らそうとした楽人のごとく、ただおのれを歌うのみであるから、その作品は、科学には近かろうけれども、人情を離れること遠いのである。日本の古い俚諺《りげん》に「見えはる男には惚《ほ》れられぬ。」というのがある。そのわけは、そういう男の心には、愛を注いで満たすべきすきまがないからである。芸術においてもこれと等しく、虚栄は芸術家公衆いずれにおいても同情心を害することはなはだしいものである。
 芸術において、類縁の精神が合一するほど世にも神聖なものはない。その会するやたちまちにして芸術愛好者は自己を超越する。彼は
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