を受けるに適当な態度を養わなければならない。宗匠|小堀遠州《こぼりえんしゅう》は、みずから大名でありながら、次のような忘れがたい言葉を残している。「偉大な絵画に接するには、王侯に接するごとくせよ。」傑作を理解しようとするには、その前に身を低うして息を殺し、一言一句も聞きもらさじと待っていなければならない。宋《そう》のある有名な批評家が、非常におもしろい自白をしている。「若いころには、おのが好む絵を描く名人を称揚したが、鑑識力の熟するに従って、おのが好みに適するように、名人たちが選んだ絵を好むおのれを称した。」現今、名人の気分を骨を折って研究する者が実に少ないのは、誠に歎かわしいことである。われわれは、手のつけようのない無知のために、この造作《ぞうさ》のない礼儀を尽くすことをいとう。こうして、眼前に広げられた美の饗応《きょうおう》にもあずからないことがしばしばある。名人にはいつでもごちそうの用意があるが、われわれはただみずから味わう力がないために飢えている。
 同情ある人に対しては、傑作が生きた実在となり、僚友関係のよしみでこれに引きつけられるここちがする。名人は不朽である。というのは、
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