風はその枝の間に戯れた。峡谷《きょうこく》をおどりながら下ってゆく若い奔流は、つぼみの花に向かって笑った。たちまち聞こえるのは夢のごとき、数知れぬ夏の虫の声、雨のばらばらと和らかに落ちる音、悲しげな郭公《かっこう》の声。聞け! 虎《とら》うそぶいて、谷これにこたえている。秋の曲を奏すれば、物さびしき夜に、剣《つるぎ》のごとき鋭い月は、霜のおく草葉に輝いている。冬の曲となれば、雪空に白鳥の群れ渦巻《うずま》き、霰《あられ》はぱらぱらと、嬉々《きき》として枝を打つ。
次に伯牙は調べを変えて恋を歌った。森は深く思案にくれている熱烈な恋人のようにゆらいだ。空にはつんとした乙女《おとめ》のような冴《さ》えた美しい雲が飛んだ。しかし失望のような黒い長い影を地上にひいて過ぎて行った。さらに調べを変えて戦いを歌い、剣戟《けんげき》の響きや駒《こま》の蹄《ひづめ》の音を歌った。すると、琴中に竜門《りゅうもん》の暴風雨起こり、竜は電光に乗じ、轟々《ごうごう》たる雪崩《なだれ》は山々に鳴り渡った。帝王は狂喜して、伯牙に彼の成功の秘訣《ひけつ》の存するところを尋ねた。彼は答えて言った、「陛下、他の人々は自己
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