の所謂神祕的象徴主義の哲理を提唱した時であつて其の中で僕はまづ僕の藝術理想を斯く主張した。
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1 まづ人道主義者の主張に反して文藝からは一切の道徳的倫理的の標準をとり去らなければならない。
2 個人的相對的經驗的の感覺と感情とをはなれて超個人的絶對的形而上的の感覺と感情、言はば宇宙或は自然がもつ感覺感情ともいふべきものを表現しなければならない。これに對して前者の感覺と感情とをのみ表現してその奧に後者の感覺と感情とを暗示し得ない藝術をセンチメンタリズムの藝術と呼ぶ。
3 此の意味の感覺と感情とを表出する手段(材料)は適切にその感覺と感情とに對應しなければならぬので、手段が感覺と感情とを※[#「走にょう+兪」、117−下−18]越することも亦其の反對も許されない。換言すれば或る特異《ユニイク》の感覺と感情とを表現するには聯想といふ手段によつて示してはならない。その特異の感覺と感情とをただそれだけのもの即ち其れ以上でも其れ以下でも以外でもないものによつて表現しなければならない。これが象徴である。
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僕の此の神
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