ゐたが、其頃から僕の思想はプラグマチズムとはいはないで象徴主義と銘打つてゐた。後、次第に思想が深化して現今の所謂論理主義の嚴密さを味ひつつ、リツケルト、コオエン、フツサアル、ボルツアノとだんだんに固くなつてゆくにつれて僕の理知欲は一面に滿足させられたが他面の宗教的要求を如何にせばやと惑ふ樣になつた。其頃のことである。僕が專心大乘佛教の中に浸つて佛弟子たる修業に志したのは。「公準としての愛」といふやうなものも其の時に出來た。神祕的象徴主義の骨組もその頃に出來た。そして禪宗のやうな超俗的内面的な宗教がその究竟境を示すときの偈を讀み、その表現があまりに現代フランスの象徴派詩人のそれと共通してゐるのに驚いた。更にすすんで君の先きの詩集「聖三稜玻璃」を一讀するや、誠に精神的に貧弱な現今のわが國に斯くも摩訶不思議の詩境にあそぶものがあるかと僕の心は君に對する驚異と畏敬とにみたされた。實にも靈性の深奧に祕密の殿堂をみいだすことは感覺のプリズムに富瞻の色彩を悦樂することである。それを知るものは君である。君のやうな徹底した象徴主義者は西歐にも其例を見ることができない。君が名辭のみを聯ねた詩の簡潔こそは東洋人の脈管からながれでた血のその純粹の結晶であらう。
 僕の神祕的象徴主義の理論は此後いくらでも變改するであらうが神祕的象徴主義は何としても動かない眞理だ。それは藝術其物眞理其物の成立するアプリオリだ。否、凡てのアプリオリのアプリオリだ。而も君の詩はそれらの主義から超越してゐる。

 今も僕は例の散策から歸つてきたところだ。いつもの道だが、加茂川から一二丁の間隔を置いて平行にはしつてゐる高い堤(それは往昔《むかし》の加茂川のそれではないかと思ふ)の上を北の方へあるいて行つた。そこには丈の低い小笹が繁つて早くも春の雲雀が鳴いてゐる。ふと菜畑のほとりをゆるやかに何處かの鐘の音がながれた。僕はその音に聽入りながらつらつらと自然のあらはれ[#「あらはれ」に傍点]の信實を思つた。何と言つても信實な眞摯なそして温良なものは自然だ。亦、いつも健全なのは自然だ。

 山村君。君はつねにかのジアナリズムを排してゐる。それは僕も同樣だ。併しジアナリズムぐらゐが何だ。それはただ文壇といふ文化顯象の片隅にかすかに存在してゐるだけの事實に過ぎないではないか。現代の文明はもつと複雜だ。僕等には文壇のジアナリズムぐ
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