、この辺のものは大抵孤立した樹叢だ。東大寺から三月堂、手向山神社あたりにかけて見られるものは、木のたけも喬木のやうに高く、それが一面に密集してゐるから、その花叢の美しいことも格別で、とてもそれへは普通の馬酔木を見ての感じを当てはめることが出来ない。ここの馬酔木だけは全く奈良の見ものである。
 この辺一帯、即ち三笠山の馬酔木は、既に一千年余の歴史を持つてゐる。万葉集の中にも馬酔木の歌は二十首許り這入つてゐる。中でも有名なのは、天平宝字二年二月、式部大輔中臣清麻呂の宅で宴会のあつた時、来会者の大伴家持らが目を山斎に属して作つた歌三首であるが、それは芸術的に見ても馬酔木の感じを立派に出してゐるものだ。

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をしのすむ君がこの山斎《しま》けふ見れば馬酔木の花もさきにけるかも
池水にかげさへ見えてさきにほふ馬酔木の花を袖に扱入《こゐ》れな
いそかげの見ゆる池水照るまでにさけるあしびの散らまく惜しも
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 ところがこれらの作に歌はれた馬酔木《あしび》は、今の所謂あしび[#「あしび」に傍点]ではないといふ疑ひが昔からある。早く既に契冲がその疑ひを出した。
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