この宴会は二月に開かれて居り、これらの歌の次にある作の詞書には二月十日とあるから、少くもこれらの歌は、二月初旬に作られたとしなければならぬが、馬酔木の花はそんなに早くは咲かないといふのだ。守部はこの歌の「にほふ」「てる」両語を拠り処として、色の赤い花と見るが至当だとし、木瓜の花らしいと結論した。雅澄は、この歌の作られた前年十二月十九日が立春となつてゐるから、この年は気候も早く、二月初旬にはもう陽地に馬酔木は咲いてゐたと論じ、あしび説を支持した。
けれども三笠山の馬酔木を見た時、私はすべての疑問を解決し得ると思つた。守部などは、馬酔木は花白く見どころがないから、集中の歌にはすべて似つかぬと言つたけれども、それは三笠山の馬酔木を知らぬからである。東大寺の池に映つた花叢を見ると、「いそかげの見ゆる池水照るまでにさける」は正しく実感である。それはかがやかににほうてゐる。家持はこのさきにほふ花を袖の中へ扱き入れようと歌つたが、霰白の珠玉を惜気もなく振り蒔いた、軽快なこの花叢を見ると、だれでもちよつと家持の持つた欲念にそそられる。木瓜の花では扱くことが出来ない。「あしびなす栄えし」と枕詞に使はれたり、「山もせにさける馬酔木《あしび》」と叙景せられたりするのを見れば、その花は「賑はしく麗しく且甚だ多く連らなりてさく花」と見えるから、馬酔木では一層似つかぬと守部は言ふけれども、馬酔木としてこそ実感そのままの描写である。昔は河内から伊勢路へかけて、馬酔木の花は大和一面にさきつらなつてゐたらしい。
作品の解釈は、やはり実感を標準としなければ分るものでないと、私はその時固く信じたのである。
底本:「花の名随筆2 二月の花」作品社
1999(平成11)年1月10日初版発行
入力:浅葱
校正:noriko saito
2005年5月14日作成
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