スレエのものなど耽読してゐたが、年を取るに従つて、例のウオルトンの『釣魚大全』やホワイトの『セルボオン博物志』を味ひ深く感じるに至つたといふことである。
 書物は何といつても各時代のテストを経て、その評価の定まつたものに限ると云つて古典の美を彼は賞揚してゐるが、さうした物のうちでは、ベエコン卿のエッセイなど最も愛読のものであつたらしい。国家枢要の位置に据つて、専らその体験から割り出した、あの処世観が最も強く子爵の胸に訴へたのも自然のことで、卿に就いては一と言も云はず唯随処にあの金言、警句を引用し、暗黙のうちにこれを推賞してゐるのも面白い。前代の大事件、また大思想を扱つた最も偉大な書物の一つとして、彼はギボンの『羅馬衰亡史』を挙げ、斯かる書は我々に快楽と慰安を与へるのみでなく、また実に我等をして静かに現代の事変に接し、高処よりこれを達観せしむる高邁の識見を供するものであると云つてゐるが、全欧大動乱の中に立つての、水際《みづぎは》立つた、あの冷静な外交振りも、斯かる深い源泉から湧き来つたものかと、今更のやうに感服されるのである。大学を出てから殆ど十年の長い日月を、子爵は北英のその邸に於て、釣魚と鳥追ひといつた無為の業《わざ》に徒費してゐたが、三十を越える二、三に至つて、漸く読書に興味を覚え、詩には熱を感じ、いかに浩瀚、冗長なものであらうとも、あらゆる思想的の書物を読破する根気を養ふに至り、その頃現はれたジヨオジ・エリオツト伝の如きにも、全く我を忘れてこれに没頭するに至つた。して、それと同じ興味と熱を以て政治的公生涯に邁進するに至つたのである。読書の力もまた偉大なりと云ふべしである。



底本:「日本の名随筆 別巻6 書斎」作品社
   1991(平成3)年8月25日第1刷発行
   1998(平成10)年1月30日第7刷発行
底本の親本:「書窓雑筆」双雅房
   1935(昭和13)年11月
入力:ふろっぎぃ
校正:浅原庸子
2001年7月2日公開
2006年4月3日修正
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