の小説を勧めるやうなもので、読めない、やれないと云はれればそれまでで、無理には強ひられないことだと云つてゐる。次に子爵は鳥にも興味を有つてゐて、フアロドンの自邸には大きな鴨場を設けて、英吉利は勿論、各国各種の鴨を飼育してゐた。西英ニユウ・フオレストの大森林地のほとりに小さなコツテエジを建てて、外相の劇職にあつた際も、週末の休みには必ず出かけて、太古の処女林そのままのあの深い森へ分け入つて、季節々々の鳴禽、幽禽の歌を聴くことを忘れなかつた。して、この野鳥の音を聴き分けることにかけては、その道の専門家も遠く及ばない程であつたのだ。最後に、彼にはまた別に読書の楽しみがあつた。一、二週の休みが取れると、彼は早速こちらなら仙台の田舎ともいふべき、北英の遠い自邸へ帰つて、その書庫に入り、好みの書を漁つて、心ゆくまでこれに読み耽るのであつた。
 彼は好んでレクリエーシヨン、即ち、楽しみ乃至趣味といふことを説いてゐる。我々は今日快楽追求時代に住んでゐると云ふが、我々は快楽発見時代には住んでゐないやうである。到る処に不平、不満の声を聞くのみである。斯くて、この生を幸福にする楽しみといふものが重要になつて来る。生を幸福にする要素は少くとも四つある。第一にそれは、我々の行動を支配する道徳的標準である。第二は家族、また姻戚との親善な関係といふ形式に於ける、多少とも満足な家庭生活である。第三は、国家に対して我々の存在を恥ぢず、我等をして善良の市民たらしむべき、何かの形式の仕事である。第四は或る程度の閑暇《ひま》と、我々を幸福にするやうにそれを利用することである。閑暇《ひま》を善用することに成功したからというて、以上の三つの事に於ける失敗を償ふというわけにはいかないが、相当な閑暇《ひま》とそれを善用することは、確かに幸福な生に対する寄与である。さらば、如何にしたらその閑暇《ひま》を巧みに利用することが出来ようか。それは第一に、一体自分は何を求めてゐるのか、それを明かに知り、それを手にしたら、確かにそれが我々を幸福にする何物かであることを確かめればよい、して、これぞ即ち楽しみの第一歩なのであると、斯ういふ風に彼は説いてゐるが、自分が何を求めてゐるのか皆目わからず、従つて、それを手に出来ないで悶《もが》いてゐる者は世間に沢山あるので、如何にも尤もと肯れることである。
 書物こそは――彼は云つてゐる
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