船宿にその幾艘を有するのみ、歌麿の絵にある趣はまた見られずなったが、どうかしてこれらを再興したいものだと、一部の人々は折角そう思っておる。
それにつけてもいとど嬉しいは八百松が灯籠流しを再興したことで、この催し、いつの頃よりか廃れて誰企つる者もなかったのを、先年隅田川の寂れとてこの催しを世におこし、大川筋に名物一つ加えたは何よりのことどもである。
さてその灯籠というは、形を都鳥の水に浮寝せる姿とし、これに灯を入れて流れの上より下へ行くにまかせて放ちやるにて、岸の遠近、船よりも楼よりも眺めはいずれ趣深く、遠く遠く流れゆく灯影の小さくなるを送るほどの心、情景ともにかのうて忘機の三昧に入るを得べし。
都の夏を懼れて暑を山海の地に避くる人々の、かえって喧噪と雑沓と没趣味とに苦しめられて、しかもそれらに対して高価な支払をなしたを嘆《かこ》つこと、吾儕の屡次《しばしば》耳にするところで、旁徒なる懼れに遠かれる都にも、夏にかかる逸楽のあるをお知らせしておきたい。
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蒲焼と蜆汁
土用に入っての夏の食いものに、鰻と蜆とは江戸ッ児の真先に計えあげる一つで、つづいては泥鰌、浅
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