もり。さりとは気安くもまた罪のないことどもではないか。
 さあれ如此《かくのごとく》にして江戸ッ児は祖先を敬し、如此にしてしかも決してその祖先を忘れぬ。振舞いの粗なるを嗤いたもうな、形式に流れたようなかかる振舞いにも、心ばかりは洵に真に祖先に対するの敬虔を有し、尻切袢纏の帯しめなおして窮屈そうに霊前にかしこまり、弥蔵を極めこむ両手を鯱張って膝の上におき、坊さんのお勤がすむまでは胡座《あぐら》にもならでモジモジしている殊勝さは、その心持ちだけでも買ってやっていいと思う。
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 灯籠流し



 川びらきの夜に始まりて、大川筋の夕涼み、夏の隅田川はまた一しきり船と人に賑わうをつねとする。
 疇昔《ちゅうせき》は簾かかげた屋形船に御守殿姿具しての夕涼み、江上の清風と身辺の美女と、飛仙を挟んで悠遊した蘇子の逸楽を、グッと砕いて世話でいったも多く、柳橋から枕橋、更には水神の杜あたりまでも流れを溯って、月に夜を更かし、帰るさは山谷堀から清元の北洲に誘られた玉菊灯籠の見物に赴くなど、それぞれの趣向に凝ったものだが、今は大川の涼みにも屋形船の影を見ること稀々で、名残は兵庫屋、河内屋などの
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