分でもなくなった。
昔男ありけりと碑にも刻まれた東の名花、ここに空しく心なき人々に弄ばれて、あわれにもまた情ない今の有様、如何にもしてそが復活を図りたいものだとは物のわかった昔のお兄哥さんが皺だらけの顔を撫でての思案である。
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稗蒔
尺寸の天地をも愛する江戸ッ児は常にその景情を象って、自然の美に接せねばやまぬ。
麦の穂漸く色づいて、田園の風致いよいよ濃《こま》やかな頃、今戸焼の土鉢に蒔きつけた殻の青々と芽生えて、宛《さなが》ら早苗などの延びたらんようなるに、苧殻《おがら》でこしらえた橋、案山子人形、魚釣りなんどを按排し、橋の下なる流れには金魚、緋目高、子鯉といったような類を放ちて、初夏の午前を担いにのせて売り歩く、なかなかに愛でたきものだ。
「稗蒔や、ひえまァき――」
人もしこの声を朝の巷に聞く時は、貴賤老若にかかわらず、門に出てその値ぶみをする。大小精粗によって五銭より十銭、二十銭、三十銭、五十銭、それ以上なは先ず注文でなくば大方は持合わさず、僅に半円以下の散財で恣に野趣を愛する。さても気やすいことではないか。
要するに江戸ッ児の趣味は多角的である。
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