、芝の愛宕、平河天神などを歳の市の数え場所とし、他は西両国の広小路、銀座通り、四谷伝馬町、赤坂一ッ木など、最寄りもよりになお幾つもある。
就中《なかんずく》観音の市では羽子板の本相場がきまり、明神の市では門松の値が一定する。その他愛宕の市で福寿草の相場がすわり、天神の市で梅の値を確実にするなど、今も昔に異ならず、これにも景気と気勢いとが肝腎である。オット忘れた、深川のは調べの市というそうな。
江戸ッ児は何につけても担ぐとて嗤いたもうな。ケナせば元来が門松だの飾り藁だのというもの、実はあってもなくてものもので、そを縁起まで祝うて年迎えのしるしとせんことは、理屈や議論ではとうていお話にならぬこと、ただそれその心持ちが第一である。
さればいずれの歳の市にも、ダラダラの大晦日まで続いたところが、門松だけは二十九日までに遅くとも立ててしまい、一夜飾りはせぬものと老人の注意を、誰しも正直に守って疑わず、どういうわけと念を押すなぞは決しておくびにも出さない。
「めんどくせえやな、悪りいてえから悪るけりゃしねえまでよ、なァ、人の嫌がることをしねえたて、こちとらァそれでよゥく日も経ッてかァな」
江戸ッ児の気分はただそれ如此《かくのごとく》である、ただそれ如此である、無邪気と、ザックバランと、人を嫌がらせねえのと、遠慮会釈がないのと、物事がテキパキしておるのと、これらを除いてはかれの生命なるもの殆んど他にこれあるを知らぬ。乞う叙べ来った一つひとつに、吾儕の繰返して以上を説いたことを、何分どうか味って見て頂きたいもので……。
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大晦日
年の瀬の流れながれていよいよおしつもった大晦日、三百六十五日の最終の日にのぞんで、ああまた空しく一年を過ぐしたと嘆ずるは愚痴、そらほどなら毎度のことでもあり、先の先まで見えすいておることを、今更の後悔でもあるまいと、江戸ッ児はそんなことより年忘れ、まず何はともあれの、一杯機嫌で、御厄払いましょう、厄払いになにがしかを包んで、諸々のまがつみを西の海! それで気もサラリとして払いも掛けも勘定万端を早ァくにすませ、朝でなくとも熱いピリリとする奴に一風呂入って、今茲《こんじ》の垢をも綺麗さっぱり、アア正月が待ち遠しいとは自慢でばかりは言わぬ。
されば夜に入っては梅の一鉢も冷かしてきて、福寿草の根じめに植えたるを択び、搗きたてのおすわりと共に床の間に飾り込み、今更におすわりの大なるを喜んで、今年のは去年のよりも一寸からあると北叟笑む時には、天下これより快なることはなく、心ひそかに来るべき年の福運を祝して有難てえやと軽く額をたたく。
「オイ、おッかァ! 福茶がへえったら持って来や!」
とはいつにない優しい声、女房も遉《さすが》にその声を聞くとき嬉しからぬということなく、アイと素直に福茶を運び来て、「ねえお前さん、今夜こそは除夜の鐘を聞こうじゃありませんか。百八つでしたね」と睦まじいものなり。
こうして歳の大晦日はいつも夜あかし、明けがたにトロトロと火燵《こたつ》ながらにまどろむことはあっても、年男はすぐに若水も汲まねばならず、先ず明けましてお目出度うがすむまでは、ほんとうに安息は出来ない。
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見附と御門
三百六十五日の年中行事に因んで、江戸趣味のあれこれをそこはかとなく漁って見た後で、まだ何やらん残っているように思って考え出したのはこの見附と御門、これこそ大江戸随一の形見とも称すべきで、さて見附は山下見附、赤坂見附、四谷、牛込の二、三ヶ所をこれに加うべく、それらいずれも多少の俤はとどめてあるも、今は昔の名残りを偲ぶにもよすが少い。殊に山下なるは殆んどあるかなきかで、これより常盤橋内なるがまだ遥かにその趣はある。
御門は桜田と半蔵と、田安とが最もよく昔のままをあらわし、次いで和田倉門(辰の口)も殆んどそのままだ。他には竹橋御門なおその影を止め、爾余のは馬場先門にしろ、日比谷見附にしろ、今はその趾さえ捜《たず》ぬるに困難である。
されば今僅にその悌を存する以上の見附と御門とも、いつ全く失われつくすか、滅びゆく江戸の俤を偲ぶ時、吾儕はいとど哀惜の情に堪えぬものがある。
さるにても「時」の力の恐ろしくも又いみじきことよ、蓋しかれはすべてに対してその破壊者であると共に、又やがてその建造者である。故にかれや常にこれを破壊して、また常にこれを建造する。彼の児童が持ちあいた玩具を片端から破壊し去って、いつかその破片をつづくり、別に珍奇の玩具をものして欣ぶと一斑で、吾儕は不断に「時」の力に圧迫せられ、威嚇せられて、しかもその制肘を脱する能わざるのだ。
人もし残されたる江戸趣味を捜ねて、最後にこの見附と御門とに至らば、必ずや吾儕とその感を同じゅうするであろう。……ホイ、これはし
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