鳴がする、頭が重い。両脚に負傷したことはこれで朧気《おぼろげ》ながら分ったが、さて合点の行かぬは、何故《なぜ》此儘にして置いたろう? 豈然《よもや》とは思うが、もしヒョッと味方敗北というのではあるまいか? と、まず、遡《さかのぼ》って当時の事を憶出してみれば、初め朧《おぼろ》のが末《すえ》明亮《はっきり》となって、いや如何《どう》しても敗北でないと収まる。何故と云えば、俺は、ソレ倒れたのだ。尤もこれは瞭《はき》とせぬ。何でも皆が駈出すのに、俺一人それが出来ず、何か前方《むこう》が青く見えたのを憶えているだけではあるが、兎も角も小山の上の此《この》畑《はた》で倒れたのだ。これを指しては、背低《せびく》の大隊長殿が占領々々と叫《わめ》いた通り、此処を占領したのであってみれば、これは敗北したのではない。それなら何故俺の始末をしなかったろう? 此処は明放《あけばな》しの濶《かつ》とした処、見えぬことはない筈。それに此処でこうして転がっているのは俺ばかりでもあるまい。敵の射撃は彼《あ》の通り猛烈だったからな。好《よ》し一つ頭を捻向《ねじむ》けて四下《そこら》の光景《ようす》を視てやろう。それには丁度|先刻《さっき》しがた眼を覚して例の小草《おぐさ》を倒《さかしま》に這降《はいおり》る蟻を視た時、起揚《おきあが》ろうとして仰向《あおむけ》に倒《こ》けて、伏臥《うつぶし》にはならなかったから、勝手が好《い》い。それで此星も、成程な。
やっとこなと起かけてみたが、何分両脚の痛手《いたで》だから、なかなか起られぬ。到底《とて》も無益《むだ》だとグタリとなること二三度あって、さて辛《かろ》うじて半身起上ったが、や、その痛いこと、覚えず泪《なみだ》ぐんだくらい。
と視ると頭の上は薄暗い空の一角。大きな星一ツに小さいのが三《み》ツ四《よ》ツきらきらとして、周囲《まわり》には何か黒いものが矗々《すっく》と立っている。これは即ち山査子《さんざし》の灌木。俺は灌木の中に居るのだ。さてこそ置去り……
と思うと、慄然《ぞっ》として、頭髪《かみのけ》が弥竪《よだ》ったよ。しかし待てよ、畑《はた》で射《や》られたのにしては、この灌木の中に居るのが怪《おか》しい。してみればこれは傷の痛さに夢中で此処へ這込《はいこん》だに違いないが、それにしても其時は此処まで這込《はいこ》み得て、今は身動《みうごき》もならぬが不思議、或は射《や》られた時は一ヵ所の負傷であったが、此処へ這込《はいこん》でから復《ま》た一発|喰《く》ったのかな。
蒼味《あおみ》を帯びた薄明《うすあかり》が幾個《いくつ》ともなく汚点《しみ》のように地《じ》を這《は》って、大きな星は薄くなる、小さいのは全く消えて了う。ほ、月の出汐《でしお》だ。これが家《うち》であったら、さぞなア、好かろうになアと……
妙な声がする。宛《あだか》も人の唸《うな》るような……いや唸《うな》るのだ。誰か同じく脚《あし》に傷《て》を負って、若《もし》くは腹に弾丸《たま》を有《も》って、置去《おきざり》の憂目《うきめ》を見ている奴が其処らに居《お》るのではあるまいか。唸声《うなりごえ》は顕然《まざまざ》と近くにするが近処《あたり》に人が居そうにもない。はッ、これはしたり、何の事《こッ》た、おれおれ、この俺が唸《うな》るのだ。微かな情ない声が出おるわい。そんなに痛いのかしら。痛いには違いあるまいが、頭がただもう茫《ぼう》と無感覚《ばか》になっているから、それで分らぬのだろう。また横臥《ねころん》で夢になって了え。眠《ね》ること眠ること……が、もし万一《ひょっと》此儘になったら……えい、関《かま》うもんかい!
臥《ね》ようとすると、蒼白い月光が隈なく羅《うすもの》を敷たように仮の寝所《ふしど》を照して、五歩ばかり先に何やら黒い大きなものが見える。月の光を浴びて身辺|処々《ところどころ》燦《さん》たる照返《てりかえし》を見《み》するのは釦紐《ぼたん》か武具の光るのであろう。はてな、此奴《こいつ》死骸かな。それとも負傷者《ておい》かな?
何方《どっち》でも関《かま》わん。おれは臥《ね》る……
いやいや如何《どう》考えてみても其様《そん》な筈がない。味方は何処へ往ったのでもない。此処に居るに相違ない、敵を逐払《おいはら》って此処を守っているに相違ない。それにしては話声もせず篝《かがり》の爆《はぜ》る音も聞えぬのは何故であろう? いや、矢張《やッぱり》己《おれ》が弱っているから何も聞えぬので、其実味方は此処に居るに相違ない。
「助けてくれ助けてくれ!」
と破《や》れた人間離《にんげんばなれ》のした嗄声《しゃがれごえ》が咽喉《のど》を衝《つ》いて迸出《ほとばしりで》たが、応ずる者なし。大きな声が夜の空を劈《つんざ》いて四方へ響渡
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