と「旦那さまのために三日月様に祈っておかぬと運が悪い」と申します。私は感謝していつでも六厘差し出します(大笑)。それから七夕様《たなばたさま》がきますといつでも私のために七夕様に団子だの梨だの柿などを供えます。私はいつもそれを喜んで供えさせます。その女が書いてくれる手紙を私は実に多くの立派な学者先生の文学を『六合雑誌』などに拝見するよりも喜んで見まする。それが本当の文学で、それが私の心情に訴える文学。……文学とは何でもない、われわれの心情に訴えるものであります。文学というものはソウいうものであるならば……ソウいうものでなくてはならぬ……それならばわれわれはなろうと思えば文学者になることができます。われわれの文学者になれないのは筆が執《と》れないからなれないのではない、われわれに漢文が書けないから文学者になれないのでもない。われわれの心に鬱勃《うつぼつ》たる思想が籠《こ》もっておって、われわれが心のままをジョン・バンヤンがやったように綴ることができるならば、それが第一等の立派な文学であります。カーライルのいったとおり「何でもよいから深いところへ入れ、深いところにはことごとく音楽がある」。
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