なした人であると思います。安治川があるために大阪の木津川の流れを北の方に取りまして、水を速くして、それがために水害の患《うれい》を取り除いてしまったばかりでなく、深い港を拵《こしら》えて九州、四国から来る船をことごとくアソコに繋《つな》ぐようになったのでございます。また秀吉の時代に切った吉野川は昔は大阪の裏を流れておって人民を艱《なや》ましたのを、堺と住吉の間に開鑿《かいさく》しまして、それがために大和川の水害というものがなくなって、何十ヵ村という村が大阪の城の後ろにできました。これまた非常な事業です。それから有名の越後の阿賀川《あがのがわ》を切ったことでございます。実にエライ事業でございます。有名の新発田《しばた》の十万石、今は日本においてたぶん富の中心点であるだろうという所でございます。これらの大事業を考えてみるときに私の心のなかに起るところの考えは、もし金を後世に遺すことができぬならば、私は事業を遺したいとの考えです。また土木事業ばかりでなく、その他の事業でももしわれわれが精神を籠《こ》めてするときは、われわれの事業は、ちょうど金に利息がつき、利息に利息が加わってきて、だんだん多
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