を出《いだ》すにいたれり、ここにおいて余はその多少世道人心を裨益《ひえき》することもあるを信じ、今また多くの訂正を加えて、再版に附することとはなしぬ、もしこの小冊子にしてなお新福音を宣伝するの機械[#ママ]となるを得ば余《よ》の幸福何ぞこれに如《し》かん。

  明治三十二年十月三十日
[#25字下げ]東京角筈村において
[#32字下げ]内 村 鑑 三
[#改頁]

     改版に附する序

 この講演は明治二十七年、すなわち日清戦争のあった年、すなわち今より三十一年前、私がまだ三十三歳の壮年であったときに、海老名《えびな》弾正《だんじょう》君司会のもとに、箱根山上、蘆の湖の畔《ほとり》においてなしたものであります。その年に私の娘のルツ子が生まれ、私は彼女を彼女の母とともに京都の寓居に残して箱根へ来て講演したのであります。その娘はすでに世を去り、またこの講演を一書となして初めて世に出した私の親友京都便利堂主人中村弥左衛門君もツイこのごろ世を去りました。その他この書成って以来の世の変化は非常であります。多くの人がこの書を読んで志を立てて成功したと聞きます。その内に私と同じようにキリスト
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