て悲憤失望の種ならざるはなしでありました。「今やデンマークにとり悪しき日なり」と彼らは相互に対していいました。この挨拶《あいさつ》に対して「否《いな》」と答えうる者は彼らのなかに一人もありませんでした。しかるにここに彼らのなかに一人の工兵士官がありました。彼の名をダルガス(Enrico Mylius Dalgas)といいまして、フランス種のデンマーク人でありました。彼の祖先は有名なるユグノー党の一人でありまして、彼らは一六八五年信仰自由のゆえをもって故国フランスを逐《お》われ、あるいは英国に、あるいはオランダに、あるいはプロイセンに、またあるいはデンマークに逃れ来《きた》りし者でありました。ユグノー党の人はいたるところに自由と熱信と勤勉とを運びました。英国においてはエリザベス女王のもとにその今や世界に冠たる製造業を起しました。その他、オランダにおいて、ドイツにおいて、多くの有利的事業は彼らによって起されました。旧《ふる》き宗教を維持せんとするの結果、フランス国が失いし多くのもののなかに、かの国にとり最大の損失と称すべきものはユグノー党の外国脱出でありました。しかして十九世紀の末に当って彼らはいまだなおその祖先の精神を失わなかったのであります。ダルガス、齢《とし》は今三十六歳、工兵士官として戦争に臨み、橋を架し、道路を築き、溝《みぞ》を掘るの際、彼は細《こま》かに彼の故国の地質を研究しました。しかして戦争いまだ終らざるに彼はすでに彼の胸中に故国|恢復《かいふく》の策を蓄えました。すなわちデンマーク国の欧州大陸に連《つら》なる部分にして、その領土の大部分を占むるユトランド(Jutland)の荒漠を化してこれを沃饒《よくにょう》の地となさんとの大計画を、彼はすでに彼の胸中に蓄えました。ゆえに戦い敗れて彼の同僚が絶望に圧せられてその故国に帰り来《きた》りしときに、ダルガス一人はその面《おも》に微笑《えみ》を湛《たた》えその首《こうべ》に希望の春を戴《いただ》きました。「今やデンマークにとり悪しき日なり」と彼の同僚はいいました。「まことにしかり」とダルガスは答えました。「しかしながらわれらは外に失いしところのものを内において取り返すを得《う》べし、君らと余との生存中にわれらはユトランドの曠野を化して薔薇《バラ》の花咲くところとなすを得べし」と彼は続いて答えました。この工兵士官
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