棄てゝ何處かへ行つてしまつたといふ噂が街中に擴がつた。
私は祖母に遇ひたくても、彼の家とは往來を禁じられてゐて、どう脱け出してゆく事もできなかつた。それは皆彼の家が餘り貧乏な故にだつた。
私は毎日、彼の家の頭上にある、[#底本では「、」は「。」と誤記]淨土寺の公孫樹に夕陽の蒼ざめてゆくのを、野の彼方から眺めてゐた。
祖母はやつぱり病氣だつた。
もう長い事寢てゐたのだ。暗い空家のやうな家の中に空虚な眼をあけて寢てゐた。
「淋しかあないのかえお婆さん。」
祖母は無表情で首を動かした。
そして、水を貰ひたいといふ意味の事を、やつと私は聽きとつた。
小さな茶碗に、私は井戸から水を汲んで來て飮ませると、祖母は滿足さうに眼を瞑ぢて見せた。
その日から二三日の後に祖母は死んだ。
子供の騷々しく遊んでゐる中で、壁の方を向いたきり、それなり死んでしまつた。
私はたゞ切り倒された枯木のやうに横たはつてゐる屍骸を見たばかりだつた。
葬式の日に子供等の母は、何處からか歸つて來た。
口紅を眞ッ赤につけて、大きいお腹をして歸つて來た。尤も彼女のは地腹だつたかも知れない。何時も骨盤の上で腰紐がその膨脹をやつと支えてゐるやうな腹部と、河童のやうな子供達と、その生活の切なさを見ると、私は何か底の知れない不安を感じさせられた。醜い腫瘤にさへも見えた。
地獄で天國の話をするやうに彼女は都會の生活を喋つて歩いた。それも場末の下宿屋か何かを中心にしての都會生活だつた。
都會では少しの智慧と猾ささへ持ち合せれば、自動車も電車も無料で乘り廻せて、芝居でも活動でも常に見られて、男は口頭で女は媚で、何時でも生活が樂にできる‥‥‥と。
あゝ私のマドンナは一度都會を見てくるとすつかり墮落した精神を持つて歸つた。
父は祖母が死んでから仕事にも出ないで、毎日鬱ぎ込んでゐた。この頃は窪んだ眼の下で、赧い頬骨が莫迦に險惡に光つてた。
「俺にも少し文句がある※[#「※」は「!!」、第3水準1−8−75、89−15]」
胡坐を組んで空間を睨めながら時々、火を吐くやうな勢ひでこういつてゐたが、生れつき無口な素直な彼は、それ以外何にも口に出さなかつた。
雨が降り續いて、子供が遊びに倦きてくると、彼は疊の上に仰向けに寢て、兩方の蹠の上に私を載せて、上げたり垂げたりシーソーの代りになつて根氣よく遊んでくれた。彼は若いやさしい父だつた。
「お父つあん、お前がこの土地を見切つて東京へ行ぐ氣にさなれば、子供等もおら[#「おら」に傍点]もどんなに助かるか知れやしねえ。お前が出てくりや直ぐにでも××工場へ入れるやうにしといてやると×さんもいつてるでなえか、それに彼處は仕事も樂だし社宅もくれべえつて話だに‥‥‥」
彼女は幾度も寡默な夫を唆してゐた。そして間もなく、夫や子供達をひつ浚ふやうにして東京へいつてしまつた。その後、私は一度も彼等育てゝくれた親にも乳きやうだいにも逢はない。やつぱり彼等は煉獄から煉獄への道を踏み迷つてゐるだろう。
鐵骨ばかりのビルヂングの下で二人の男が上を見上げながら話してゐた。
「何てえ鈍間な野郎だッ、建築つて奴あ、一度ケチがつきやあがると、それからそれへと縁起が惡くつて、碌なこたありやあしね、危險なこたあ解り切つてるのに、餘ッ程、ドヂな野郎ぢやねえか‥‥‥」
「何でもふだんから俺あ、のろま[#「のろま」に傍点]な野郎だとおもつてた‥‥‥」
詰襟の服にゲートルを捲いてる技師らしい男と、アルパカのもぢりみたいなものを、ふわりと上から羽織つた親方らしい男と、鉛色の蹠を見上げて怒罵を浴せてゐた。
何時? 何處から? どうして? その足は歩きつゞけて來たゞろう。その足は、都會に幸福を求めていつた父の足だ、ブルジョアジイが噛んで吐き出すやうな食物を求める爲に、生涯の血と汗とを拂はなければならないあの父と子供の足だ!
今に今にあの足は、ビルヂングの鐵骨の上から立ち上つて、何千何萬何億もの足と一緒に、全世界の軍隊よりも[#「よりも」は底本では「よ も」と欠字]歩調を合せて、一つの行進曲を奏するだろう。私の頭の上では、矢ッ張り激しく鋲締機が鳴り喚いてゐる。
……私は一體、睡つてゐるのか、覺めてゐるのか‥‥‥‥。
底本:「解放10月号」解放社
1926(大正15)年10月1日発行
入力:林幸雄
校正:大野裕
2001年1月17日公開
2001年1月18日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたつたのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全3ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
若杉 鳥子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング