。氣味の惡い、象形文字のやうな指紋がある。黒い傷痕がある。深い溝がある。
 黒い夢だ! 黒い夢だ!何てピストルの銃口を覗くやうな油臭い夢だろう――私は夢から遁れやうと足掻いた。

 そこは平原の黎明だつた。
 父と母と規則正しい足取りで、影繪のやうに、紫色の線上を歩いてゆく。
 彼等は蝸牛のやうに小さな自作農だつた。
 私は祖母の背中に蝉みたいに喰つ着いて、大きい土瓶と一緒に隨いてゆく。野良へ――
 露に濡れた玉蜀黍の葉ばかり、夜會服の貴婦人みたいに、さらさらさら‥‥‥とそよぐ。

 毎日毎日雨が、茅葺[#底本では「茅茸」と誤記]屋根の農家を浸した。
 若い父は古い木の根株の上で、千本削つて何厘といふやうな楊子[#底本では「揚子」と誤記、以下同じ]をそいでゐた。
 電光のやうな鋭利な刄物[#底本ママ]で、若い生命を削つてゐた。時々溜息を吐いて空を見たり、白い眼をして放心したりしてゐた。彼はその時小作人だつた。
 若い母は、蓮根のやうな腕をして製糸工場へ通つた。その頃街には、製糸工場の煙突と肥料屋の倉庫が殖えた。
 太い煙突から黒龍のやうに空へ登つてゆく煤煙の下で、若い母は屑糸を出して罰しられながら喘いでゐた。
 そこへ猿みたいな赤ん坊が生れた。
 毎年、續けさまに生れた。
 然し私の可愛い乳兄弟達は、新月のやうな薄眼をして崇高な寢息をたてながら、巴旦杏のやうに成熟していつた。
 寒い晩、私は子供達と、穴の中の藁苞に貯えてある銀杏の實を出して、爐の縁で燒いて食べた。父は何時でも厚ぼつたい唇を開けて默りこくつてゐる。
 狹い家の中で鬱してくると、私は直ぐ下の男の兒をいぢめた。
「姉こう! さあ、やつてこい姉こう。」
 彼はむきになつて攻勢をとる。
 私は彼が男の兒であるのと、自分が彼よりも年嵩なのを好い事にして、徹底的に征服しやうと試みる。小さい子供達も一齊に暴れ出す。小さい家の中で子供等は益々狂暴になつて、楊子削りのナイフを振り廻して私に迫つてくる。私は芳ばしい楊子の樹を噛みながら惡口をいつて逃げ出す。

 若い父はいつの間にか野良へ出てゆかなくなつた。行商を始めて見たのだつた。
 雨が降つて毎日父が家にゐる時は、入口の土間に桐油を被た、玩具や雜貨の荷が、生活の殘骸のやうに骨ばつて積んであつた。

 それからまた父は行商を止めて、すてきに好い事を始めた。子供達にも好い
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