たのだが、それで決して彼等の恋愛は、ハッピーエンドを告げるのではなかった。
 問題はむしろこれからなのである。
 一九二九年夏、荒れ狂う暴圧のもとに、最初の*****が**停止に会い、関係者全部が検挙投獄されたことは、日本のプロレタリアートの****史上に特筆さるべき有名な重大事件であるが、丁度、彼等の結婚もその時期《とき》に当たっていた。
 そして二人がある小路の奥に巣を作った四日目の朝、Eは同志との連絡をとりに出たきり帰って来なかった。後で、Eがある同志の家の附近で捕まったということを彼女は、知ったのだが、何にしてもEとゆう子が一緒に暮らしたのは、たった三日間だった。現在の下《もと》に繋がるる限り何時迄待てば解放される彼であるのか――誰にもそれは解らない。まだ処女の如く、若く美しい三日間の妻だった山内ゆう子は、その後どんな道に生きてゆくか? 或いは白髪の日まで夫を待つ妻であるだろうか?
 これでひとまず山内ゆう子とEとの紹介を打ち切って置く。
 革命後のソヴエット・ロシアに於いては、コロンタイの恋愛観等にも現れた乱婚生活が一時盛んであったということだが、それは今日ではもう、反動的な頽廃的な何等××とは縁のないものとして批判し尽くされた。だがまだ日本ではこの小ブル的な恋愛観が何か新しいものでもあるかの如く問題にされている。
 その時にあって、前に述べたこの二人の男女は、どんな風に恋愛を考えているか、或いは又実行に移しているか? 読者はいま此処に発表する十通の手紙――牢獄の夫から妻に宛てた――を読んでゆかれたなら、闘争の嵐の中に戦う二人の姿を、はっきりと見出し、この圧搾された愛情を、如何に貴く痛感されることであろう。この手紙の書かれた季節は、春から夏にかけてであって、手紙と手紙の間の欠けている処もあるが、日附順に並べて行こう。

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 一ヶ月振りで君の手紙を見た。
 そしていつもそうには違いないが、特に昨夜の手紙には、いささか幸福を感じた。実際君は、誰に指導されなくても自分自身で、自分の思ったことを実行してゆけるようではないか。それならばそれが一番いいことだと僕は思う。だから是非そうして、しっかりやってくれ給え!
 それから君はKに就いて不備を洩らしているが、Kは僕にとっては事実いい友達なのだ。然し決して「同志」ではなかった。この事をよく考えなければ
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