れなかったりして、短い冬の日は徒労に終わる事もありました。そんな時は、何時も悄然とした姿をして、小石川の宿に帰って行くのでした。
帰れば何を勉強をする気にもなれず、筆をとる気にもなれず、唯疲れた体躯《からだ》を投げ出して、快い眠りに入る事より他に、何の欲望もありません。労働者の上も偲ばれて、気の毒で堪えませんでした。然し私も一個の労働者です。終日パンを得る為にのみ斯くして過ごします。どう思っても幾ら高く買っても、これが天職の使命のとは思われません。
社内の事よりも何よりも、反抗するに感応《こたえ》のない、大自然の圧迫は、実に苦しく、家庭や長上の人より受くるもののように余裕がありません。流石の我侭者の私も、是には服従せざるを得ませんでした。
生活費の不足
早稲田出身の文学士様さえ、最初の月給は二十円から二十五円と、相場の定った新聞社の事ですから、私は初め見習として十五円を与えられました。電車代は別です。
自給するようになって、生まれて初めて月給を懐中《ふところ》にした時は、嬉しい気持ちよりも、顧みて一ヶ月の自分の労力が余りに安価に購われ、余りに又小さなる自らの力である事を心細く思いました。
十五円の中、
円 銭
一〇、 食料及び炭,油
六〇 湯銭
六〇 郵便
二、七〇 電車券私用分(三十日)
一、一〇 小遣い
と計算立てて見ましたが、此の中から英語の月謝を出そうと思っても出ません。既に郵便の六十銭は不足、一円十銭のお小遣いでは足袋が切れても、下駄が悪くなっても買えません。それに半襟が汚れるとか化粧品を買うとか、臨時費が多く出ますから足りる筈がありません。書物も買えず勉強も出来ない、これでは仕様がないと思って、知り合いの妻君に相談しますと、東京の生活は百円でも出来れば、五円でも出来るという。食料の方から月謝位出そうなものですねと云いました。
それから直ぐその素人下宿を退いて、神田の裏長屋同然の家へ行きました。元、郷里《くに》の家に居た下男が独身で世帯を持っているのです。其処へ同居してから自炊もして見ました。その男はかなり忠実な人で、夜の中に水を汲み込んだり、薪の用意もして呉れまして、夜の明けぬ中に労働に出て了います。
雪の日に
前へ
次へ
全6ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
若杉 鳥子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング