八千代女史のお宅だと覚えています。
訪問難
東京の地理さえも委しく知らず、何でも渋谷の伊達という邸《やしき》の跡と聞いたので、青山の終点で電車を下りました。――今思えば割合に大胆でしたね――そして、伊達跡伊達跡と尋ね廻ったけれども、一向わかりません。
酒屋で聞いても薪屋で聞いても知れません。凡そ二時間も渋谷の野をうろついて、漸く差配をしている、駄菓子屋のお爺さんに尋ねますと、『その岡田さんというのは何を商売にしていなさるんです。』といった。『美術家、あの絵をお書きになるのです。』お爺さんは此の界隈で有名な識者《ものしり》だそうですが、猶首を傾けて考え込んで居まして、
『それでは、俺《わし》の姪にあたるのですが、その亭主が絵師《えかき》ですから、其処《そこ》へ行ってお聞きなさい、ナアニ、直き向こうの小さい家です』と親切に教えて呉れました。
日当たりの悪い茅葺き屋根の家です。御免下さいとおとなえば、若い病みあがりらしい妻君が、蒼い顔をして出て来ました。その妻君も『岡田さん――、美術家――』と、暫く考え込んでいましたが、
『その方の奥さんでしょう、小説をお書きになるのは。それならば小説にいつか天現寺橋の辺りとありましたよ』とその橋を教えて呉れました。天現寺橋なんて名前すらも初めて聞くので御座います。漸《ようよ》うにして其のお玄関に辿りついた時は、何しろ二時間も足駄を引き摺ったのでしたから、足袋は切れる足は痛む、馴れないので全身綿のように疲れていました。
問いたいと思う事も口に出ず、思い切って問題を提出すれば、八千代女史は謙虚に、
『私達にはわかりませんで御座います。』とお逃げ遊ばす。それを突っ込む勇気もなければ、術《すべ》も知らず、唯話の途絶えめ途絶えめを、何処からかカンナの音が響いて来ます。その間の悪かった事はお話になりません。
談話は断片的で社へ帰ったとて、記事になりそうもなく、その焦慮と恥ずかしさが込み上げて、座に居堪えないようで御座いました。それでも日頃尊敬していた人に見《まみ》えた、一種の満足を得て、私は社へ帰って参りました。初めての事で非常に印象強く、どうか斯うか纏めて書きました。
自分を殺してかかる
男の方を訪問するのは割合に楽で、問題さえ提出すれば大抵の方はお話し下さるので、別に呼吸も何も要りませんが、婦人にして訪問記者
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