なに大事にしてくれても、その貧乏な里親が恋しくて、夜も睡ることができなかった。
 床につく時は観念しているのだが、少し睡ると眼が覚めて、一応あたりを見廻さずにいられなかった。そしてあの裸で寝る習慣のお婆さんも、オッカアも父《ちゃん》もいないと知ると、私は夢中で叫びながら駈け出した。どんな障碍物でも蹴飛ばすような勢いで、往来をめがけて走り出すのだった。
 危ないッ! 皆に抱き止められて、再びまた床の中に連れ戻されるのだが、こんなことが毎晩続いた。夢遊病者のように、自分でははっきりそれを意識しなかった。  
 里のお婆さんの方もまた、預けた家へかえしはしたが、心配と逢いたさに、昏《く》れ方[#底本では「昏《くれ》れ方」と誤記]はきっと、向こうの家の土蔵の陰から顔だけ出して、私の方へ手招ぎをするのだった。
 それを見ると、私はお婆さんの傍へ走り寄って行ったがお婆さんは歓んで息を切らしながら、いろんなことを訊いた。そして訣れる時、近眼のお婆さんは、懐中から出した茶色の巾着へ、眼をくッつけるようにして中から銅貨を摘み出し、私の掌の上に置いてくれるのだった。――それはお婆さんが近所の使い走りや洗濯をして、僅かに得た労銀なのだった。私はまたそんな貴い金とも知らず、貰うとすぐ養家へは内密で買い喰いをしてしまった。
 こうして人目を忍んではお婆さんに逢うというのは、里親に出入りされたのでは、子供がいつまでも家の方へ馴染まないといって、里親に会うのを禁じられていたからだった。そして時たまお婆さんと話している処を誰かに見られでもしようものなら、「あの百姓婆、あの乞食婆、あんな薬缶頭のどこが好いんだ」そういって皆に揶揄された。
「お婆さんが悪いのではない、働いても働いても貧乏なのは、そりゃお婆さんが悪いのではないんだ……」私は揶揄《からか》われるとも知らず泣きたいのを凝と堪えて、大きく眼を※[#「※」は「めへん+爭」、第3水準1−88−85、226−11]《みは》って相手の顔を睨んでいた。
 私もまた時々こっそりと物をねだりに、この貧乏な里親の家へ行った。家の傍に大きい寺院があって、その境内に大きい銀杏の樹があった。お婆さんは秋になって大風が吹くと、その落ちた実を拾って、穴を掘って埋め、その上に藁をかけて置いた。何もないとそれを掘ってよく炉ばたで焼いてくれた。
 今でもその腐った藁のような
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