のくぼ[#「ぼんのくぼ」に傍点]の甘皮一枚で僅かに胴と続いてるだけの話だ……』
『………………………………』
『女の方を殺《や》っちゃうと、奴ぁ急に恐くなっちゃいやがったんだな』
『へええ、随分よく切れるものね……』
『今日はまた運悪く、S楼じゃ今朝っから研屋を招《よ》んで料理場《いたば》の包丁を皆残らず研がしといたんだとさ。すると夕方になって、野郎が台所へ水飲みに来たから、皆変だとは思ったが、その時鮪包丁が一本見えなくなった事は誰も気がつかなかったんだ。それで殺ったんだな、それに奴は他の遊郭でも無理心中をし損なった癖のある男で、楼《うち》のものも皆注意しぬいていたんだがな、ナニその男は商売も何もありゃあしないんだ、先に牛乳配達なんかした事のある男だって話だが……』
私の聴き得た事はそれだけだった。
また、ある娼妓は、夜半に眼を覚ますと、妙な物音を聴いた。
ブツリ、ブツリ、という音だ、はて何の音だろう――からだ中の神経をそばだてて聴いた。畳に何か通すような音だ!
気丈なその女は、すぐに何か直感したが、それが生命の問題であると知ると、自分で自分の心を圧《お》し沈めて、今夢から覚めた風をして身動きをした。
そして落ち着き払って、枕頭《まくらもと》の煙草盆をひきよせて、一服ふかして、
『あんたまだ起きてたの、私は咽喉《のど》が渇いてめが覚めたんだけれど、あんたもお茶を飲みたかないか、いま階下《した》へいって持って来てあげよう』
その女は努めて落ちつき払っていいながらも、客に警戒しいしい床を脱け出した。
何気ない風を粧って階段を下りはしたが、下へ降りると一時に気が狂ったように大声で、
『大変です、大変です、救けて下さい!』
と怒鳴りながら楼中のものを起こした。
その女は幸いにも危うく死の道連れをまぬがれる事ができた。
後できくと、ブツリ、ブツリという音は、客が愈々心中を実行する場合に、女を篭の虫のように遁さない用心から、蚊帳《かや》の周囲を畳の目へ、釘で止めてゆく音だったという事である。
3 情死者の葬式
また、私はある時、情死した娼妓の埋葬される処を見た。
何という奇怪な葬式だったろう――葬式そのものよりも其処に参列した会葬者達の感情と気分とが、普通の死を囲繞するものとは全然異なっている。
轢死の場所で検死が済むと、男の方
前へ
次へ
全7ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
若杉 鳥子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング