野のはくちょう
DE VILDE SVANER
ハンス・クリスティアン・アンデルセン Hans Christian Andersen
楠山正雄訳
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)石筆《せきひつ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#挿絵(fig42384_01.png)入る]
−−
[#挿絵(fig42384_01.png)入る]
ここからは、はるかな国、冬がくるとつばめがとんで行くとおい国に、ひとりの王さまがありました。王さまには十一人のむすこと、エリーザというむすめがありました。十一人の男のきょうだいたちは、みんな王子で、胸に星のしるしをつけ、腰に剣をつるして、学校にかよいました。金のせきばんの上に、ダイヤモンドの石筆《せきひつ》で字をかいて、本でよんだことは、そばからあんしょうしました。
この男の子たちが王子だということは、たれにもすぐわかりました。いもうとのエリーザは、鏡ガラスのちいさな腰掛に腰をかけて、ねだんにしたらこの王国の半分ぐらいもねうちのある絵本をみていました。
ああ、このこどもたちはまったくしあわせでした。でもものごとはいつでもおなじようにはいかないものです。
この国のこらずの王さまであったおとうさまは、わるいお妃《きさき》と結婚なさいました。このお妃がまるでこどもたちをかわいがらないことは、もうはじめてあったその日からわかりました。ご殿じゅうこぞって、たいそうなお祝の宴会がありました。こどもたちは「お客さまごっこ」をしてあそんでいました。でも、いつもしていたように、こどもたちはお菓子や焼きりんごをたくさんいただくことができませんでした。そのかわりにお茶わんのなかに砂を入れて、それをごちそうにしておあそびといいつけられました。
その次の週には、お妃はちいちゃないもうと姫のエリーザを、いなかへ連れていって、お百姓の夫婦にあずけました。そうしてまもなくお妃はかえって来て、こんどは王子たちのことでいろいろありもしないことを、王さまにいいつけました。王さまも、それでもう王子たちをおかまいにならなくなりました。
「どこの世界へでもとんでいって、おまえたち、じぶんでたべていくがいい。」と、わるいお妃はいいました。「声のでない大きな鳥にでもなって、とんでいっておしまい。」
でも、さすがにお妃ののろったほどのひどいことにも、なりませんでした。王子たちは十一羽のみごとな野の白鳥《はくちょう》になったのです。きみょうななき声をたてて、このはくちょうたちは、ご殿の窓をぬけて、おにわを越して、森を越して、とんでいってしまいました。
さて、夜のすっかり明けきらないまえ、はくちょうたちは、妹のエリーザが、百姓家のへやのなかで眠っているところへ来ました。ここまできて、はくちょうたちは屋根の上をとびまわって、ながい首をまげて、羽根をばたばたやりました。でも、たれもその声をきいたものもなければ、その姿をみたものもありませんでした。はくちょうたちは、しかたがないので、また、どこまでもとんでいきました。上へ上へと、雲のなかまでとんでいきました。とおくとおく、ひろい世界のはてまでもとんでいきました。やがて、海ばたまでずっとつづいている大きなくろい森のなかまでも、はいっていきました。
かわいそうに、ちいさいエリーザは百姓家のひと間《ま》にぽつねんとひとりでいて、ほかになにもおもちゃにするものがありませんでしたから、一枚の青い葉ッぱをおもちゃにしていました。そして、葉のなかに孔《あな》をぽつんとあけて、その孔からお日さまをのぞきました。それはおにいさまたちのすんだきれいな目をみるような気がしました。あたたかいお日さまがほおにあたるたんびに、おにいさまたちがこれまでにしてくれた、のこらずのせっぷんをおもい出しました。
きょうもきのうのように、毎日、毎日、すぎていきました。家のぐるりのいけ垣を吹いて、風がとおっていくとき、風はそっとばら[#「ばら」に傍点]にむかってささやきました。
「おまえさんたちよりも、もっときれいなものがあるかしら。」
けれどもばら[#「ばら」に傍点]は首をふって、
「エリーザがいますよ。」とこたえました。
それからこのうちのおばあさんは、日曜日にはエリーザのへやの戸口に立って、さんび歌の本を読みました。そのとき、風は本のページをめくりながら、本にむかって、
「おまえさんたちよりも、もっと信心ぶかいものがあるかしら。」といいました。するとさんび歌の本が、
「エリーザがいますよ。」とこたえました。そうしてばら[#「ばら」に傍点]の花やさんび歌の本のいったことはほんとうのことでした。
このむすめが十五になったとき、またご殿にかえることになっていました。けれどお妃はエリーザのほんとうにうつくしい姿をみると、もうねたましくも、にくらしくもなりました。いっそおにいさんたち同様、野のはくちょうにかえてしまいたいとおもいました。けれども王さまが王女にあいたいというものですから、さすがにすぐとはそれをすることもできずにいました。
朝早く、お妃《きさき》はお湯にはいりにいきます。お湯殿は大理石でできていて、やわらかなしとねと、それこそ目がさめるようにりっぱな敷物がそなえてありました。そのとき、お妃はどこからか三びき、ひきがえるをつかまえてきて、それをだいて、ほおずりしてやりながら、まずはじめのひきがえるにこういいました。
「エリーザがお湯にはいりに来たら、あたまの上にのっておやり。そうすると、あの子はおまえのようなばかになるだろうよ――。」
それから二ひきめのひきがえるにむかって、こういいました。
「あの子のひたいにのっておやり、そうするとあの子は、おまえのようなみっともない顔になって、もう、おとうさまにだって見分けがつかなくなるだろうよ――。」
それから、三びきめのひきがえるにささやきました[#「ささやきました」は底本では「ささやさました」]。
「あの子の胸の上にのっておやり。そうすると、あの子にわるい性根《しょうね》がうつって、そのためくるしいめにあうだろうよ。」
こういって、お妃は、三びきのひきがえるを、きれいなお湯のなかにはなしますと、お湯は、たちまち、どろんとしたみどり色にかわりました。そこでエリーザをよんで、着物をぬがせて、お湯のなかにはいらせました。エリーザがお湯につかりますと、一ぴきのひきがえるは髪の上にのりました。二ひきめのひきがえるはひたいの上にのりました。三びきめのひきがえるは胸の上にのりました。けれどもエリーザはそれに気がつかないようでした。やがて、エリーザがお湯から上がると、すぐあとにまっかなけし[#「けし」に傍点]の花が三りん、ぽっかり水の上に浮いていました。このひきがえるどもが、毒虫でなかったなら、そうしてあの魔女の妃がほおずりしておかなかったら、それは赤いばら[#「ばら」に傍点]の花にかわるところでした。でも、毒があっても、ほおずりしておいても、とにかくひきがえるが花になったのは、むすめのあたまやひたいや胸の上にのったおかげでした。このむすめはあんまり心がよすぎて、罪がなさすぎて、とても魔法の力にはおよばなかったのです。
どこまでもいじのわるいお妃は、それをみると、こんどはエリーザのからだをくるみの汁でこすりました。それはこの王女を土色によごすためでした。そうして顔にいやなにおいのする油をぬって、うつくしい髪の毛も、もじゃもじゃにふりみださせました。これでもう、あのかわいらしいエリーザのおもかげは、どこにもみられなくなりました。
ですから、おとうさまは王女をみると、すっかりおどろいてしまいました。そうして、こんなものはむすめではないといいました。もうたれも見分けるものはありません。知っているのは、裏庭にねている犬と、のきのつばめだけでしたが、これはなんにももののいえない、かわいそうな鳥けものどもでした。
そのとき、かわいそうなエリーザは、泣きながら、のこらずいなくなってしまったおにいさまたちのことをかんがえだしました。みるもいたいたしいようすで、エリーザは、お城から、そっとぬけだしました。野といわず、沢といわず、まる一日あるきつづけて、とうとう、大きな森にでました。じぶんでもどこへ行くつもりなのかわかりません。ただもうがっかりしてつかれきって、おにいさまたちのゆくえを知りたいとばかりおもっていました。きっとおにいさまたちも、じぶんと同様に、どこかの世界にほうりだされてしまったのだろう、どうかしてゆくえをさがして、めぐり逢いたいものだとおもいました。
ほんのしばらくいるうちに、森のなかはもうとっぷり暮れて、夜になりました。まるで道がわからなくなってしまったので、エリーザはやわらかな苔《こけ》の上に横になって、晩のお祈をとなえながら、一本の木の株にあたまを寄せかけました。あたりはしんとしずまりかえって、おだやかな空気につつまれていました。草のなかにも草の上にも、なん百とないほたるが、みどり色の火ににた光をぴかぴかさせていました。ちょいとかるく一本の枝に手をさわっても、この夜ひかる虫は、ながれ星のようにばらばらと落ちて来ました。
ひと晩じゅう、エリーザは、おにいさまたちのことを夢にみました。みんなはまだむかしのとおりのこども同士で、金のせきばんの上にダイヤモンドの石筆で字をかいたり、王国の半分もねうちのあるりっぱな絵本をみたりしていました。でも、せきばんの上にかいているものは、いつもの零《れい》や線ではありません。みんながしてきた、りっぱな行いや、みんながみたりおぼえたりしたいろいろのことでした。それから、絵本のなかのものは、なにもかも生きていて、小鳥たちは歌をうたうし、いろんな人が本からぬけてでて来て、エリーザやおにいさまたちと話をしました。でもページをめくるとぬけだしたものは、すぐまたもとへとんでかえっていきますから、こんざつしてさわぐというようなことはありませんでした。
エリーザが目をさましたとき、お日さまは、もうとうに高い空にのぼっていました。でも高い木立《こだち》が、あたまの上で枝をいっぱいひろげていましたから、それをみることができませんでした。ただ光が金《きん》の紗《しゃ》のきれを織るように、上からちらちら落ちて来て、若いみどりの草のにおいがぷんとかおりました。小鳥たちは肩のうえにすれすれにとまるようにしました。水のしゃあしゃあながれる音もきこえました。これはこのへんにたくさんの泉があって、みんな底にきれいな砂のみえているみずうみのなかへながれこんでいくのです。みずうみはふかいやぶにかこまれていましたが、そのうち一箇所に、しか[#「しか」に傍点]が大きなではいり口をこしらえました。エリーザはそこからぬけて、みずうみのふちまでいきました。みずうみはほんとうにあかるくきれいにすみきっていて、風がやぶや木の枝をふいてうごかさなければ、そこにうつる影は、まるで、みずうみの底にかいてある絵のようにみえました。
そこには一枚一枚の葉が、それはお日さまが上から照っているときでも、かげになっているときでも、おなじようにはっきりとうつって、すんでみえました。
エリーザは水に顔をうつしてみて、びっくりしました。それは土色をしたみにくい顔でした。でも水で手をぬらして、目やひたいをこすりますと、まっ白なはだがまたかがやきだしました。そこで着物をぬいで、きれいな水のなかにはいっていきました。もうこのむすめよりうつくしい王さまのむすめは、この世界にふたりとはありませんでした。それから、また着物を着て、ながい髪の毛をもとのように編んでから、こんどはそこにふきだしている泉のところへいって、手のひらに水をうけてのみました。それからまた、どこへいくというあてもなしに、森のなかをさらに奥ぶかく、さまよいあるきました。エリーザはなつかしいおにいさまたちのことをかんがえました。けっしておみすてにならない神さまのことをおも
次へ
全5ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
楠山 正雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング