魔法の笛
ロバアト・ブラウニング
楠山正雄訳
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)お宿《やど》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)大|協議会《きょうぎかい》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)ほしや。』[#「。』」は底本では「。」]
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ウェーゼル河の 南の岸の、
静かで気らくな ハメリン町に、
いつの頃やら ねずみがふえて、
そこでもチュウチュ ここでもチュウチュ、
ねずみのお宿《やど》は こちらでござる。
猫にゃかみつく 赤んぼはかじる、
犬とけんかも するあばれかた。
帽子《ぼうし》にゃ巣をくう 着物はやぶる、
奥さん方の おしゃべりさえも、
きいきいごえで けされる始末《しまつ》。
町の人たち あきれてしまい、
よるとさわると ねずみのうわさ、
あげくの果《はて》が ためいきばかり。
これではならぬと 皆おしかける。
町の役場は たいしたさわぎ。
『もし市長さん 議員のおかた、
うすのろ頭を どうしぼっても、
ねずみたいじの 工夫《くふう》はないか。
それが出来なきゃ こうまんらしい、
公服《こうふく》ぬがせて おいだすばかり。』
こりゃたまらぬと ぱちくり眼《まなこ》、
市長さん議員さん みな青いかお。
なんとかうまい 智慧《ちえ》ふんべつを、
しぼり出さねば こりゃなるまいと、
さっそくひらく 大|協議会《きょうぎかい》。
つくえのまわりに しかつめらしく、
眉《まゆ》をひそめて ならんでみたが、
どうにもこうにも そもはじめから、
ないない智慧《ちえ》が 出るはずはない、
ずんずんたつのは 時ばかり。
頭かきかき 市長のいうにゃ、
『でんでんででむしではあるまいし、
智慧だせだせと せめつけられても、
無い智慧《ちえ》出されぬ 面目《めんぼく》ござらぬ、
にげこむねずみの 穴《あな》ほしや。』[#「。』」は底本では「。」]
ふいに扉《と》口で こっとりことり、
そりゃまたねずみだ 胸どっきどき、
しょぼしょぼ眼《まなこ》に きょろきょろ眼《まなこ》、
客とわかって やれやれ安心、
『おはいんなさい』と 皆大いばり。
入《はい》って来たのは こりゃまあなんと、
世にもふしぎな ようすの男。
赤と黄《き》いろの だんだらまだら、
奇妙《きみょう》な形の マントをひいて、
やせてひょろひょろ 背高《せいたか》のっぽ。
顔はつるつる ひげなし男、
髪《かみ》はふさふさ どす黒い顔、
うす気味《きみ》わるいは ぎらぎら青い、
針《はり》によくにた その細い目《め》と、
いつも笑うよな その口もとだ。
『まるでこの世の 人ではないぞ、
墓《はか》の下から 出て来たようだ。』
一人の議員は こうつぶやいた。
男はかまわず ずかずかはいる、
つくえのそばまで もうやって来た。
『なんと皆さん まほうの笛で、
飛ぶ、はう、およぐ、ありとある
鳥けだものを 音《ね》にひきよせる、
ふしぎなまだらの 笛ふき男、
これがせっしゃの 名前でござる。』
それから男は いろいろ語る、
笛でたてたる 功名《こうみょう》ばなし。
なるほど黄いろと 赤まんだらの、
領布《ひれ》に下げたる まほうの笛を、
手先《てさき》でむずむず はや吹きたそう。
感心したよな 議員の顔を、
ながめた男は こうまんらしく、
『どうだね皆さん お困りものの
ねずみはわしが 退治《たいじ》てあげる。
かわりに千円 お礼はもらう。』
男のことばを 皆まできかず、
『なに千円だ そりゃ安いもの。
ねずみ退治《たいじ》が 成功したら、
五千円でも 今すぐあげる。』
市長も議員も いちどにいった。
そこで男は 四辻《よつじ》に出ると、
にっこり、まほうの笛、口にあて、
なれた手つきで 歌口《うたぐち》しらべ、
器用《きよう》にあけたり またふさいだり、
ピュウロ[#「ピュウロ」は底本では「ビュウロ」]、ピュウロと 高|音《ね》に鳴らす。
高音《たかね》に鳴らす 二度、また三度、
やがて大ぜい ひそひそばなし、
ひそひそばなしが ぶつぶつごえに、
ぶつぶつごえが がやがやさわぎ
どどっどどっと 大どよめきに。
おやおや、出た出た ねずみが出たぞ。
そこの床《ゆか》でも チュウチュウチュウ、
ここの軒でも チュウチュウチュウ、
がたがたばたばた よちよちころころ
笛にうかれて とんだりはねたり。
黒ねずみ赤ねずみ 灰いろねずみ、
ひょろひょろねずみに ぶくぶくねずみ
じじいねずみに 若い衆《しゅ》ねずみ、
親子きょうだい おじおばいとこ、
尻尾《しっぽ》ふりたて ひげくいそらす。
男はなおも 節《ふし》おもしろく、
街から街へと 吹きたてゆけば、
おくれちゃならぬと 一生けんめい、
町のねずみの おどりの行列、
ぞろぞろがやがや あとおいかける。
ピュウロ、ピュウロと 笛吹きたてる。
ねずみは夢中《むちゅう》で あとから走る。
はや目の前に ウェーゼル河の
岸まで来ると 笛吹き男、
これを限りと 笛吹きたてる。
こりゃたまらない てんと面白い、
河でも海でも かまうこたないぞ、
とびこめ、とびこめ 大うかれねずみ。
あとからあとから どんぶりこっこ、
ぶくぶくぶくぶく おぼれて死んだ。
なかに一ぴき 肥《ふと》っちょねずみ、
こりゃたまらぬと 一生けんめい、
河をわたって ねずみの国へ、
しらせをもって ほうほう逃げた。
それにはなんと 書いてある――
はじめ笛の音 きこえた時にゃ、
牛のはらわた 食いかくような、
林檎《りんご》の甘汁《あまじる》 しぼり出すような、
冷蔵箱《れいぞうばこ》のふた 取るような、
うまそうな匂《にお》いが ぷんぷんたった。
『食べろよ食べろ ねずみたち食べろ、
世界じゅうが 食料店になったぞよ。』
きくと、うかうか 皆だまされた。
『だって ふしぎさ あの大《おお》河が、
ごちそうの海に 見えたもの。』
とにかくねずみは 残らず死んだ。
あとににおいも 残らぬように、
それ壁《かべ》をぬれ それ穴《あな》ふさげ。
市長も議員も ほくほく顔で、
鐘《かね》をならして 町じゅうの祝い。
そのお祝の まっさいちゅうに、
ひょっこり帰った 笛吹き男。
『さあ約束《やくそく》だ お礼の千円、
すぐにはらってもらいたい。』
きいて市長は また青い顔。
みすみす旅の 風来坊《ふうらいぼう》に、
千円とられちゃ たまらない。
『あれはまったく 冗談《じょうだん》、冗談《じょうだん》、
五十円なら あげましょ。』と、
市長は横むいて 知らん顔。
『これこれ冗談《じょうだん》 いいっこなし、
わたしは急ぎの 旅の者、
早く千円 もらいたい。
出さぬというなら もう一度、
音《ね》いろのちがった 笛を吹く。』
『たれがおどしに のるものか、
吹きたきゃなんでも 吹くがいい、
きさまのような 素乞食野郎《すこじきやろ》に
千円とられて なるものか、
五十円なら 相当《そうとう》だ。』
腹を立てたる 笛吹き男、
四辻に立って 笛、口にあて、
ピュウロ、ピュウロと また吹き立てる、
どんな上手な 音楽師でも、
とても及ばぬ やさしい調子《ちょうし》。
おやと見るうち 方方の子供、
かたかた、ぱたぱた 小さな足音。
おしゃべりするやら 手をたたくやら、
元気なこえで 大高《おおたか》わらい、
笛にうかれて とんで出たとんで出た。
出てくる出てくる あれあれごらん、
黄金《きん》のかみの毛 まっ赤《か》なほぺた、
水晶《すいしょう》のまなこ しんじゅの白歯《しらは》、
かわいざかりの 男と女、
町の子どもは 皆あつまった。
男はさっさと あるいて行くし、
笛はますます 高音《たかね》にひびく、
子どもはぞろぞろ あとを追う。
けれどあぶない やれあぶないぞ、
みすみす目の前の 大《だい》ウェーゼル河。
市長も議員も おうしのように、
だんまりんぼと ただはらはら、
どうなることかと 見ているばかり。
ところで男は 河まで行くと、
ふと西むいて 河岸《かわぎし》づたい。
『だが[#「『だが」は底本では「だが」]むこうには 大山がある。
コッペルベルヒと いうその山は、
けわしい道の ことだから、
しょせん子どもに ついては行けぬ。』
まずまずこれでと ほっと息《いき》。
けれどふしぎや 子どもたち、
山のふもとに 行きついたとき、
さっとふたつに その山がわれ、
笛吹き男も おどり子たちも、
ずんずん中へ なだれこむ。
みんなの姿が かくれると、
われ目はとじて もとのまま。
びっこの子どもが ただ一人、
おくれてついて 行くうちに、
山がしまって 残された。
その子は町に かえったが、
いつもなんだか さびしそう。
どうしてそんなに 元気なく、
ふさいでいるかと たずねると、
子どもはいつも こういった。
『笛吹男の やくそくの
国へ行かれず 残された。
それがかなしい なさけない、
だってこの世で 見られない、
たのしい、たのしい 国だもの。
そこはきれいな 天国で
花はしぼまず 咲《さ》きつづき、
鳥はほがらに 歌うたう。
しかも年じゅう よい天気、
ぽかぽかとして 春のよう。』
あとにあわれな 町の人、
どうにか子どもを とりかえす、
工夫に脳《のう》みそ しぼったが、
影もかたちも 行方《ゆくえ》がしれず、
泣けどくやめど かいはない。
これはまったく 親たちが、
やくそく破った みせしめだ。
けれど子どもに 罪《つみ》はない、
だからたのしい 天国へ
子どもらだけが 行ったのだ。
それとさとった 親たちは、
すっかり心を いれかえて、
笛吹男の はなしをば
石にきざんで 世にのこし、
罪ほろぼしを したという。
底本:「世界童話集 思ひ出の國」東西社
1947(昭和22)年6月10日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
※底本では表題が「魔法の笛」「まほうの笛」と混在していますが、目次と柱の表記に従い「魔法の笛」を採用しました。
入力:京都大学電子テクスト研究会入力班(荒木恵一)
校正:京都大学電子テクスト研究会校正班(大久保ゆう)
2009年8月31日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
終わり
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