でも、
とても及ばぬ やさしい調子《ちょうし》。

おやと見るうち 方方の子供、
かたかた、ぱたぱた 小さな足音。
おしゃべりするやら 手をたたくやら、
元気なこえで 大高《おおたか》わらい、
笛にうかれて とんで出たとんで出た。

出てくる出てくる あれあれごらん、
黄金《きん》のかみの毛 まっ赤《か》なほぺた、
水晶《すいしょう》のまなこ しんじゅの白歯《しらは》、
かわいざかりの 男と女、
町の子どもは 皆あつまった。

男はさっさと あるいて行くし、
笛はますます 高音《たかね》にひびく、
子どもはぞろぞろ あとを追う。
けれどあぶない やれあぶないぞ、
みすみす目の前の 大《だい》ウェーゼル河。

市長も議員も おうしのように、
だんまりんぼと ただはらはら、
どうなることかと 見ているばかり。
ところで男は 河まで行くと、
ふと西むいて 河岸《かわぎし》づたい。

『だが[#「『だが」は底本では「だが」]むこうには 大山がある。
コッペルベルヒと いうその山は、
けわしい道の ことだから、
しょせん子どもに ついては行けぬ。』
まずまずこれでと ほっと息《いき》。

けれどふしぎや 子どもたち、
山のふもとに 行きついたとき、
さっとふたつに その山がわれ、
笛吹き男も おどり子たちも、
ずんずん中へ なだれこむ。

みんなの姿が かくれると、
われ目はとじて もとのまま。
びっこの子どもが ただ一人、
おくれてついて 行くうちに、
山がしまって 残された。

その子は町に かえったが、
いつもなんだか さびしそう。
どうしてそんなに 元気なく、
ふさいでいるかと たずねると、
子どもはいつも こういった。

『笛吹男の やくそくの
国へ行かれず 残された。
それがかなしい なさけない、
だってこの世で 見られない、
たのしい、たのしい 国だもの。

そこはきれいな 天国で
花はしぼまず 咲《さ》きつづき、
鳥はほがらに 歌うたう。
しかも年じゅう よい天気、
ぽかぽかとして 春のよう。』

あとにあわれな 町の人、
どうにか子どもを とりかえす、
工夫に脳《のう》みそ しぼったが、
影もかたちも 行方《ゆくえ》がしれず、
泣けどくやめど かいはない。

これはまったく 親たちが、
やくそく破った みせしめだ。
けれど子どもに 罪《つみ》はない、
だから
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