物のいわれ
楠山正雄
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)物《もの》のいわれ
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(例)一|度《ど》
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(例)物のいわれ(上)[#「(上)」は縦中横]
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目次
物のいわれ(上)[#「(上)」は縦中横]
そばの根はなぜ赤いか
猿と蟹
狐と獅子
蛙とみみず
すずめときつつき
物のいわれ(下)[#「(下)」は縦中横]
ふくろうと烏
蜜蜂
ひらめ
ほととぎす
鳩
物《もの》のいわれ(上)[#「(上)」は縦中横]
そばの根《ね》はなぜ赤《あか》いか
一
あなたはおそばの木を知《し》っていますか。あんなに真《ま》っ白《しろ》な、雪《ゆき》のようなきれいな花《はな》が咲《さ》くくせに、一|度《ど》畑《はたけ》に行って、よくその根《ね》をしらべてごらんなさい。それは血《ち》のように真《ま》っ赤《か》です。いったいおそばの根《ね》は、いつからあんなに赤《あか》く染《そ》まったのでしょうか。それにはこんなお話《はなし》があるのです。
むかし、三|人《にん》の男の子を持《も》ったおかあさんがありました。総領《そうりょう》が太郎《たろう》さん、二ばんめが次郎《じろう》さん、いちばん末《すえ》っ子《こ》のごく小さいのが、三郎《さぶろう》さんです。
ある日、おかあさんは、町《まち》まで買《か》い物《もの》に出かけました。出がけにおかあさんは、三|人《にん》の子供《こども》を呼《よ》んで、
「おかあさんは町《まち》まで買《か》い物《もの》に行って来《き》ます。じき帰《かえ》って来《き》ますから、三|人《にん》で仲《なか》よくお留守番《るすばん》をするのですよ。戸《と》をしっかりしめて、みんなでおとなしくうちの中に入《はい》っておいでなさい。ひょっとすると悪《わる》い山姥《やまうば》が、おかあさんの姿《すがた》に化《ば》けて、お前《まえ》たちをだましに来《こ》ないものでもないから、よく気《き》をつけて、けっして戸《と》をあけてはいけません。山姥《やまうば》はいくら上手《じょうず》に化《ば》けても、声《こえ》が、しゃがれたがあがあ声《ごえ》で、手足《てあし》も、松《まつ》の木のようにがさがさした、真《ま》っ黒《くろ》な手足《てあし》をしていますから、けっしてだまされてはいけませんよ。」
といい聞《き》かせました。すると子供《こども》たちは、
「おかあさん、心配《しんぱい》しないでもいいよ。おかあさんのいうとおりにして待《ま》っているからね。」
といったので、おかあさんは安心《あんしん》して出て行きました。
ところがじき帰《かえ》って来《く》るといったおかあさんは、なかなか帰《かえ》って来《こ》ないで、そろそろ日が暮《く》れかけてきました。子供《こども》たちはだんだん心配《しんぱい》になってきました。「おかあさんはどうしたんだろうね。」とみんなでいい合《あ》っていますと、だれかおもての戸《と》をとんとんとたたいて、
「子供《こども》たちや、あけておくれ。おかあさんだよ。お前《まえ》たちのすきなおみやげを、たんと買《か》って来《き》たからね。」
といいました。
けれども子供《こども》たちは、しゃがれたがあがあ声《ごえ》をしているから、おかあさんではない。山姥《やまうば》が化《ば》けて来《き》たにちがいないと思《おも》って、
「あけない、あけない、お前《まえ》はおかあさんじゃあないよ。おかあさんはやさしい声《こえ》だ。お前《まえ》の声《こえ》はがあがあしゃがれている。お前《まえ》はきっと山姥《やまうば》にちがいない。」
といいました。
ほんとうにそれは山姥《やまうば》にちがいありませんでした。山姥《やまうば》は途中《とちゅう》で、おかあさんをつかまえて食《た》べてしまったのです。そしておかあさんに化《ば》けて、こんどは子供《こども》たちを食《た》べに来《き》たのです。けれども、子供《こども》たちが入《い》れてくれないものですから、困《こま》って、村《むら》の油屋《あぶらや》へ行って、油《あぶら》を一|升《しょう》盗《ぬす》んで、それをみんな飲《の》んで、喉《のど》をやわらかにして、また戻《もど》って来《き》て、とんとんと戸《と》をたたきました。そして、
「子供《こども》たちや、あけておくれ。おかあさんだよ。みんなのすきなおみやげを、たんと買《か》って来《き》たからね。」
といいました。
こんどはそっくりおかあさんと同《おな》じような、やさしいいい声《こえ》でした。けれども子供《こども》たちはまだほんとうにしないで、
「じゃあ、先《さき》に手を出《だ》してお見《み》せ。」
といいました。
山姥《やまうば》が戸《と》のすきまから手を出《だ》しましたから、子供《こども》たちがさわってみますと、それは松《まつ》の木のように節《ふし》くれだって、がさがさしていました。子供《こども》たちはまた、
「いいえ。あけない、あけない。おかあさんはもっとつるつるして柔《やわ》らかな手をしている。お前《まえ》は山姥《やまうば》にちがいない。」
といいました。
そこで山姥《やまうば》は裏《うら》の畑《はたけ》へ行って、芋《いも》がらを取《と》って、手の先《さき》にぐるぐる巻《ま》きつけました。
そして山姥《やまうば》は三|度《ど》めにうちの前《まえ》に立《た》って、とんとんと戸《と》をたたいて、
「子供《こども》たちや、あけておくれ。おかあさんだよ。みんなのすきなおみやげを、たんと買《か》って来《き》たからね。」
といいますと、子供《こども》たちは中から、
「じゃあ、手をお見《み》せ。ほんとうにおかあさんだか、どうだか、見《み》てやるから。」
といいました。
山姥《やまうば》はまた戸《と》のすきまから手を出《だ》しました。こんどは手がつるつるして柔《やわ》らかだったので、それではおかあさんにちがいないと思《おも》って、子供《こども》たちは戸《と》をあけて、山姥《やまうば》を中へ入《い》れました。
二
おかあさんに化《ば》けた山姥《やまうば》は、うちの中に入《はい》ると、さっそくお夕飯《ゆうはん》にして、子供《こども》たちがびっくりするほどたくさん食《た》べて、今夜《こんや》はくたびれたから早《はや》く寝《ね》ようといって、いつものとおり末《すえ》っ子《こ》の三郎《さぶろう》を連《つ》れて、奥《おく》の間《ま》に入《はい》って寝《ね》ました。太郎《たろう》と次郎《じろう》は二人《ふたり》で、おもての間《ま》に寝《ね》ました。
夜中《よなか》にふと、太郎《たろう》と次郎《じろう》が目を覚《さ》ましますと、奥《おく》の間《ま》でだれかが、何《なん》だかぼりぼり物《もの》を食《た》べているような音《おと》がしました。それは山姥《やまうば》が、末《すえ》っ子《こ》の三郎《さぶろう》をつかまえて食《た》べているのでした。
「おかあさん、おかあさん、それは何《なん》の音《おと》ですか。」
と、太郎《たろう》が聞《き》きました。
「おなかがすいたから、たくあんを食《た》べているのだよ。」
と、山姥《やまうば》がいいました。
「わたいも食《た》べたいなあ。」
と、次郎《じろう》がいいました。
「さあ、上《あ》げよう。」
と、山姥《やまうば》はいって、三郎《さぶろう》の小指《こゆび》をかみ切《き》って、子供《こども》たちの居《い》る方《ほう》へ投《な》げ出《だ》しました。太郎《たろう》がそれを拾《ひろ》ってみると、暗《くら》くってよく分《わ》かりませんけれど、何《なん》だか人間《にんげん》の指《ゆび》のようでした。太郎《たろう》はびっくりして、そっと布団《ふとん》の中で、次郎《じろう》の耳《みみ》にささやきました。
「奥《おく》に居《い》るのは山姥《やまうば》にちがいない。山姥《やまうば》がおかあさんに化《ば》けて、三郎《さぶろう》ちゃんを食《た》べているのだよ。ぐずぐずしていると、こんどはわたいたちが食《た》べられる。早《はや》く逃《に》げよう、逃《に》げよう。」
太郎《たろう》と次郎《じろう》はそっと相談《そうだん》をしていますと、奥《おく》ではもりもり山姥《やまうば》が三郎《さぶろう》を食《た》べる音《おと》が、だんだん高《たか》く聞《き》こえました。
その時《とき》次郎《じろう》は布団《ふとん》から頭《あたま》を出《だ》して、
「おかあさん、おかあさん、お小用《こよう》に行きたくなりました。」
といいました。
「じゃあ、起《お》きて外《そと》へ出て、しておいでなさい。」
「戸《と》があきません。」
「にいさんにあけておもらいなさい。」
そこで太郎《たろう》と次郎《じろう》は逃《に》げ支度《じたく》をして、のこのこ布団《ふとん》からはい出《だ》して、戸《と》をあけて外《そと》へ出ました。空《そら》はよく晴《は》れて、星《ほし》がきらきら光《ひか》っていました。二人《ふたり》はお庭《にわ》の井戸《いど》のそばの桃《もも》の木に、なたで切《き》り形《がた》をつけて、足《あし》がかりにして木の上まで登《のぼ》りました。そしてそっと息《いき》を殺《ころ》してかくれていました。
いつまでたっても、きょうだいがお小用《こよう》から帰《かえ》って来《こ》ないので、山姥《やまうば》はのそのそさがしに出て来《き》ました。明《あ》け方《がた》の月《つき》がちょうど昇《のぼ》りかけて、庭《にわ》の上はかんかん明《あか》るく見《み》えました。けれどもきょうだいの姿《すがた》はどこにも見《み》えませんでした。さんざんさがしてさがしてくたびれて、のどが渇《かわ》いたので、水《みず》を飲《の》もうと思《おも》って、山姥《やまうば》が井戸《いど》のそばに寄《よ》ると、桃《もも》の木の上にかくれているきょうだいの姿《すがた》が、水《みず》の上にはっきりとうつりました。
「小用《こよう》に行くなんて人をだまして、そんなところに上《あ》がっているのだな。」
と、山姥《やまうば》は木の上を見上《みあ》げて、きょうだいをしかりました。その声《こえ》を聞《き》くと、きょうだいはひとちぢみにちぢみ上《あ》がってしまいました。
「どうして登《のぼ》った。」
と、山姥《やまうば》が聞《き》きますから、
「びんつけを木になすって登《のぼ》ったよ。」
と、太郎《たろう》がいいました。
「ふん、そうか。」
といって、山姥《やまうば》はびんつけ油《あぶら》を取《と》りに行きました。きょうだいが上でびくびくしていると、山姥《やまうば》はびんつけを取《と》って来《き》て、桃《もも》の木にこてこてなすりはじめました。
「それ、登《のぼ》るぞ。」
といいながら、山姥《やまうば》は桃《もも》の木に足《あし》をかけますと、つるり、びんつけにすべりました。それからつるつる、つるつる、何度《なんど》も何度《なんど》もすべりながら、それでも強情《ごうじょう》に一|間《けん》ばかり登《のぼ》りましたが、とうとう一息《ひといき》につるりとすべって、ずしんと地《じ》びたにころげ落《お》ちました。
すると次郎《じろう》が上から、
「ばかな山姥《やまうば》だなあ、びんつけをつけて木に登《のぼ》れるものか。なたで切《き》り形《がた》をつけて登《のぼ》るんだ。」
といって笑《わら》いました。
「そのなたはどうした。」
と、山姥《やまうば》が聞《き》きますから、
「なたは井戸《いど》のそこに入《はい》っているよ。」
と、次郎《じろう》はいってまた笑《わら》いました。山姥《やまうば》は井戸《いど》のそこをのぞいてみましたが、とても手がとどかないので、くやしがって、物置《ものおき》から鎌《かま》をさがして来《き》て、桃《もも》の木のびんつけを削《けず》り落《お》として、新《あたら》しく切《き》り形
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