ますが、日本《にほん》は、小さなやさしい国柄《くにがら》ですから、この国《くに》に住《す》みつくといっしょに、このとおり小さなやさしい獣《けもの》になったのでございます。しかし一|度《ど》ほんとうにおこって、元《もと》の虎《とら》の本性《ほんしょう》に返《かえ》りますと、どんな獣《けもの》でも恐《おそ》れません。それ故《ゆえ》こんどお上《かみ》からおふれが出て、放《はな》し飼《が》いになったのを幸《さいわ》い、さしあたりねずみどもを手《て》はじめに、人間《にんげん》にあだをする獣《けもの》を片《かた》っぱしから退治《たいじ》するつもりでいるのです。」
 と言《い》いました。
 和尚《おしょう》さんは猫《ねこ》のこうまんらしく述《の》べ立《た》てる口上《こうじょう》を、にこにこして聞《き》きながら、
「うん、うん、それはお前《まえ》の言《い》うとおりだとも。だからねずみの言《い》うことは取《と》り上《あ》げずに帰《かえ》してやったのだから、安心《あんしん》おしなさい。」
 と言《い》いました。
 そこで猫《ねこ》はすっかりとくいになって、尾《お》をふり立《た》てながら、みんなが首《くび》を長《なが》くして待《ま》っている所《ところ》へ行って、
「みなさん、大丈夫《だいじょうぶ》、和尚《おしょう》さんは承知《しょうち》してくれました。」
 と言《い》いました。
 するとみんなは口々《くちぐち》に「万歳《ばんざい》、万歳《ばんざい》。これで安心《あんしん》だ。」
 と言《い》って、手《て》をつなぎ合《あ》って、猫《ねこ》じゃ猫《ねこ》じゃを踊《おど》りました。
 するとまたこの話《はなし》を聞《き》いたねずみ仲間《なかま》では、
「猫《ねこ》のやつが和尚《おしょう》さんの所《ところ》へ頼《たの》みに行ったそうだ。」
「和尚《おしょう》さんは猫《ねこ》に、ねずみの言《い》うことは決《けっ》して取《と》り上《あ》げないと約束《やくそく》をなさったそうだ。」
「何《なん》でも猫《ねこ》は天竺《てんじく》の虎《とら》の子孫《しそん》で、人間《にんげん》のために世界中《せかいじゅう》の悪《わる》い獣《けもの》を退治《たいじ》するんだといばっていたそうだ。」
 てんでん、こんなことを口々《くちぐち》にわいわい言《い》いながら、またお寺《てら》の縁《えん》の下で会議《かいぎ》を開《ひら》きました。けれどもべつだん変《か》わったいい知恵《ちえ》も出ません。
「もうこの上|和尚《おしょう》さんに頼《たの》んでみたところで、とてもむだだから、今夜《こんや》みんなでそろって和尚《おしょう》さんの所《ところ》へ行くことはよそう。そして夜《よ》の明《あ》けないうちに、いよいよ都落《みやこお》ちをして、田舎《いなか》へ行くことにしよう。」
 だれが言《い》い出《だ》すともなく、年《とし》を取《と》ったねずみたちの間《あいだ》にはこの話《はなし》がまとまって、みんなはあわてて夜逃《よに》げのしたくにかかりました。
 するとまた元気《げんき》のいい若《わか》ねずみたちが、くやしがって、
「まあ待《ま》って下《くだ》さい。われわれはただの一|度《ど》も戦争《せんそう》らしい戦争《せんそう》をしないで、むざむざ都《みやこ》を敵《てき》に明《あ》け渡《わた》して田舎《いなか》へ逃《に》げるというのは、いかにもふがいない話《はなし》ではありませんか。それでは命《いのち》だけはぶじに助《たす》かっても、この後《のち》長《なが》く獣仲間《けものなかま》の笑《わら》われものになって、まんぞくなつきあいもできなくなります。そんなはずかしい目にあうよりも、のるか、そるか、ここでいちばん死《し》にもの狂《ぐる》いに猫《ねこ》と戦《たたか》って、うまく勝《か》てば、もうこれからは世《よ》の中に何《なに》もこわいものはない、天井裏《てんじょううら》だろうが、台所《だいどころ》だろうが、壁《かべ》の隅《すみ》だろうが、天下《てんか》はれてわれわれの領分《りょうぶん》になるし、負《ま》けたら潔《いさぎよ》くまくらを並《なら》べて死《し》ぬばかりです。」
 と言《い》って、またくやしそうにきいきい歯《は》ぎしりをしました。
 その勢《いきお》いがあんまり勇《いさ》ましかったものですから、逃《に》げ腰《ごし》になっていた外《ほか》のねずみたちも、ついうかうかつり込《こ》まれて、
「そうだ、それがいい、それがいい。」
「なあに、猫《ねこ》なんかちっともこわくないぞ。」
 とこんどは急《きゅう》に力《りき》み返《かえ》りながら、いよいよ戦争《せんそう》のしたくにとりかかりました。
 すると猫《ねこ》の方《ほう》でもすばやくそれを聞《き》きつけて、
「何《なに》を、ねずみのくせに生意気《なまいき》なやつだ。」
「よし、残《のこ》らずかかって来《こ》い。一ぺんにみんな食《く》い殺《ころ》してやるから。」
 と急《きゅう》に爪《つめ》をとぐやら、牙《きば》をこするやら、負《ま》けずに戦争《せんそう》のしたくをして、
「おもしろい。おもしろい。ねずみのやつ、早《はや》く寄《よ》せて来《く》ればいい。」
 と待《ま》ちかまえていました。

     四

 いよいよしたくができて、勢揃《せいぞろ》いがすむと、ねずみ仲間《なかま》は、親《おや》ねずみ、子ねずみ、じじいねずみにばばあねずみ、おじさんねずみにおばさんねずみ、お婿《むこ》さんねずみにお嫁《よめ》さんねずみ、孫《まご》、ひこ、やしゃ子ねずみまで何万《なんまん》何《なん》千という仲間《なかま》が残《のこ》らずぞろぞろ、ぞろぞろ、まっ黒《くろ》になって、猫《ねこ》の陣取《じんど》っている横町《よこちょう》の原《はら》に向《む》かって攻《せ》めていきました。
 猫《ねこ》の方《ほう》も、「そら来《き》た。」というなり、三毛猫《みけねこ》、虎猫《とらねこ》、黒猫《くろねこ》、白猫《しろねこ》、ぶち猫《ねこ》、きじ猫《ねこ》、どろぼう猫《ねこ》やのら猫《ねこ》まで、これも一門《いちもん》残《のこ》らず牙《きば》をとぎそろえて向《む》かっていきました。
 両方《りょうほう》西《にし》と東《ひがし》に分《わ》かれてにらみ合《あ》って、今《いま》にも飛《と》びかかろう、食《く》いかかろうと、すきをねらっているところへ、ひょっこりお寺《てら》の和尚《おしょう》さんが、話《はなし》を聞《き》いて仲裁《ちゅうさい》にやって来《き》ました。和尚《おしょう》さんは猫《ねこ》の陣《じん》とねずみの陣《じん》のまん中《なか》につっ立《た》って、両手《りょうて》をひろげて、
「まあ、まあ、待《ま》て。」
 と言《い》いますと、猛《たけ》りきっていた猫《ねこ》の軍《ぐん》もねずみの軍《ぐん》も、おとなしくなって、和尚《おしょう》さんの顔《かお》を見《み》ました。
 和尚《おしょう》さんはまずねずみの軍《ぐん》に向《む》かって、
「これ、これ、お前《まえ》たちがいくら死《し》にもの狂《ぐる》いになったところで、猫《ねこ》にかなうものではない。一ぴき残《のこ》らず食《く》い殺《ころ》されて、この野原《のはら》の土《つち》になってしまう。わたしはそれを見《み》るのがかわいそうだ。だからお前《まえ》たちもこれから心《こころ》を入《い》れかえて分相応《ぶんそうおう》に、人《ひと》の捨《す》てた食《た》べ物《もの》の残《のこ》りや、俵《たわら》からこぼれたお米《こめ》や豆《まめ》を拾《ひろ》って、命《いのち》をつなぐことにしてはどうだ。そして人のめいわくになるような悪《わる》いいたずらをきれいにやめれば、わたしは猫《ねこ》にそういって、もうこれからお前《まえ》たちをとらないようにしてやろう。」
 こういうとねずみたちは喜《よろこ》んで、
「もう決《けっ》して悪《わる》いことはいたしませんから、猫《ねこ》にわたくしどもをとらないようにおっしゃって下《くだ》さいまし。」
 と言《い》いました。
「よしよし、その代《か》わりお前《まえ》たちがまた悪《わる》さをはじめたら、すぐに猫《ねこ》に言《い》ってとらせるが、いいか。」
 と和尚《おしょう》さんが念《ねん》を押《お》しますと、
「ええ、ええ。よろしゅうございますとも。」
 と、ねずみたちはきっぱりと答《こた》えました。
 そこで和尚《おしょう》さんはふり返《かえ》って、こんどは猫《ねこ》に向《む》かって言《い》いました。
「これ、これ、お前《まえ》たちもせっかくねずみたちがああ言《い》うものだから、こんどはこれでがまんして、この先《さき》もうねずみをいじめないようにしておくれ。その代《か》わりまた、ねずみが悪《わる》さをはじめたら、いつでも見《み》つけ次第《しだい》食《く》い殺《ころ》してもかまわない。どうだね、それで承知《しょうち》してくれるか。」
「よろしゅうございます。ねずみが悪《わる》ささえしなければ、わたくしどももがまんして、あわび貝《かい》でかつ節《ぶし》のごはんや汁《しる》かけ飯《めし》を食《た》べて満足《まんぞく》しています。」
 こう猫《ねこ》たちが声《こえ》をそろえて言《い》いますと、和尚《おしょう》さんも満足《まんぞく》らしく、にこにこ笑《わら》って、
「さあ、それでやっと安心《あんしん》した。ねずみは猫《ねこ》にはかなわないし、猫《ねこ》はやはり犬《いぬ》にはかなわない。上には上の強《つよ》いものがあって、ここでどちらが勝《か》ったところで、それだけでもう世《よ》の中に何《なに》もこわいものがなくなるわけではないし、世《よ》の中が自由《じゆう》になるものでもない。まあ、お互《たが》いに自分《じぶん》の生《う》まれついた身分《みぶん》に満足《まんぞく》して、獣《けもの》は獣同士《けものどうし》、鳥《とり》は鳥同士《とりどうし》、人間《にんげん》は人間同士《にんげんどうし》、仲《なか》よく暮《く》らすほどいいことはないのだ。そのどうりが分《わ》かったら、さあ、みんなおとなしくお帰《かえ》り、お帰《かえ》り。」
「どうもありがとうございました。これからはもう咎《とが》のないねずみを取《と》ることは、やめましょう。」
「そうです。わたくしどもも、けっしてよけいな人の物《もの》を取《と》ったりなんかいたしません。」
 猫《ねこ》とねずみは口々《くちぐち》にこう言《い》って、和尚《おしょう》さんにおじぎをして、ぞろぞろ帰《かえ》っていきました。



底本:「日本の神話と十大昔話」講談社学術文庫、講談社
   1983(昭和58)年5月10日第1刷発行
   1992(平成4)年4月20日第14刷発行
入力:鈴木厚司
校正:大久保ゆう
2003年8月27日作成
青空文庫作成ファイル:
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