そばまで来《き》ましたが、もう白鳥《はくちょう》はどこへ行ったか姿《すがた》は見《み》えませんでした。伊香刀美《いかとみ》はすこし拍子《ひょうし》抜《ぬ》けがして、そこらをぼんやり見回《みまわ》しました。すると水晶《すいしょう》を溶《と》かしたように澄《す》みきった湖水《こすい》の上に、いつどこから来《き》たか、八|人《にん》の少女《おとめ》がさも楽《たの》しそうに泳《およ》いで遊《あそ》んでいました。
少女《おとめ》たちは世《よ》の中に何《なん》にもこわいことのないような、罪《つみ》のない様子《ようす》で、きれいな肌《はだ》を水《みず》の中にひたしていました。伊香刀美《いかとみ》は「あッ。」といったなり、見《み》とれてそこに立《た》っていました。するとどこからともなくいい香《かお》りが、すうすうと鼻《はな》の先《さき》へ流《なが》れてきました。そして静《しず》かな松風《まつかぜ》の音《おと》にまじって、さらさらと薄《うす》い絹《きぬ》のすれ合《あ》うような音《おと》が、耳《みみ》のはたで聞《き》こえました。
気《き》が付《つ》いて伊香刀美《いかとみ》が振《ふ》り返《かえ》ってみますと、すぐうしろの松《まつ》の木の枝《えだ》に、ついぞ見《み》たこともないような、美《うつく》しい真《ま》っ白《しろ》な着物《きもの》が掛《か》けてありました。伊香刀美《いかとみ》はふしぎに思《おも》って、そばへ寄《よ》ってみますと、美《うつく》しい着物《きもの》はみんなで八|枚《まい》あって、それは鳥《とり》の翼《つばさ》をひろげたようでもあり、長《なが》い着物《きもの》のすそをひいたようでもありました。それがかすかな風《かぜ》に吹《ふ》かれては、音《おと》を立《た》てたり、香《かお》りを送《おく》ったりしているのです。
伊香刀美《いかとみ》はその着物《きもの》がほしくなりました。
「これはめずらしいものだ。きっとさっきの白い鳥《とり》たちがぬいで行ったものに違《ちが》いない。するとあの八|人《にん》の少女《おとめ》たちは天女《てんにょ》で、これこそ昔《むかし》からいう天《あま》の羽衣《はごろも》というものに違《ちが》いない。」
こう独《ひと》り言《ごと》をつぶやきながら、そっと羽衣《はごろも》を一|枚《まい》取《と》り下《お》ろして、うちへ持《も》って帰《かえ》って、宝《たから
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