びしゃもん》さまのお像《ぞう》の、頭《あたま》にも胸《むね》にも、手足にも、肩先《かたさき》にも、幾箇所《いくかしょ》となく刀《かたな》きずや矢《や》きずがあって、おまけにお足《あし》にはこてこてと泥《どろ》さえついておりました。
田村麻呂《たむらまろ》は今更《いまさら》仏《ほとけ》さまの御利益《ごりやく》のあらたかなのにつくづく感心《かんしん》して、天子《てんし》さまから頂《いただ》いたお金《かね》を残《のこ》らず和尚《おしょう》さんにあずけて、お寺《てら》をりっぱにこしらえました。今《いま》の清水寺《きよみずでら》があれほどの大《おお》きなお寺《てら》になったのは、田村麻呂《たむらまろ》の時《とき》から、そうなったものだということです。
田村麻呂《たむらまろ》はその後《のち》鈴鹿山《すずかやま》の鬼《おに》を退治《たいじ》したり、藤原仲成《ふじわらのなかなり》というものの謀反《むほん》を平《たい》らげたり、いろいろの手柄《てがら》を立《た》てて、日本一《にほんいち》の将軍《しょうぐん》とあがめられましたが、五十四の年《とし》に病気《びょうき》で亡《な》くなりました。けれどもこれ
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