なだか》い将軍《しょうぐん》です。そしてそのなきがらを埋《う》めたお墓《はか》を将軍塚《しょうぐんづか》といって、千|何年《なんねん》という長《なが》い間《あいだ》京都《きょうと》の鎮守《ちんじゅ》の神様《かみさま》のように崇《あが》められて、何《なに》か世《よ》の中《なか》に災《わざわ》いの起《お》こる時《とき》には、きっと将軍塚《しょうぐんづか》が音《おと》をたてて動《うご》き出《だ》すといい伝《つた》えているのでございます。
 坂上田村麻呂《さかのうえのたむらまろ》は今《いま》から千|年余《ねんあま》りも昔《むかし》、桓武天皇《かんむてんのう》が京都《きょうと》にはじめて御所《ごしょ》をお造《つく》りになったころ、天子《てんし》さまのお供《とも》をして奈良《なら》の都《みやこ》から京《きょう》の都《みやこ》へ移《うつ》って来《き》たうちの一人《ひとり》でした。背《せい》の高《たか》さが五|尺《しゃく》八|寸《すん》に胸《むね》の厚《あつ》さが一|尺《しゃく》二|寸《すん》、巨人《おおびと》のような大男《おおおとこ》でございました。そして熊鷹《くまたか》のようなこわい目をして、鉄《
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